石見銀山とその文化的景観
ICOMOSから世界遺産への登録の延期勧告を受けた石見銀山ですが、その後、地元島根県、大田市、外務省や文化庁、ユネスコ日本代表部が一丸となって、登録に向けた体制を立て直し、さらなるアピールなどを働きかけ、2007年6月28日、ニュージーランドで開催された世界遺産委員会において、大逆転の世界遺産への登録が世界委員会満場一致で決定しました。日本の世界遺産としては14件目の登録になり、日本の文化遺産はこれで11件になりました。なによりも、産業遺跡としては日本初の登録になります。
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世界遺産と産業遺産
日本の文化遺産は数多くありますが、その中でも今回の石見銀山のような産業遺産があります。産業遺産としての定義はないのですが、我が国では「日本の近代化や産業の発展にも大きな貢献をした産業遺産」とされています。世界遺産に登録された石見銀山の他にも、世界遺産の暫定リストにのっている「富岡製糸場と絹産業遺産群」が日本産業革命の原点として、「金と銀の島、佐渡」が鉱山とその文化として推薦されることになっています。
世界の産業遺産
世界的にみると、1999年に登録された「インドの山岳鉄道群」、2000年登録の英国の「ブレナボン産業用地」、2001年登録ドイツ連邦共和国の「エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群」、2005年登録のチリ共和国の「ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場」、「ストルーブ測地線」は2005年の登録で、ベルラーシ共和国、エストニア共和国、フィンランド共和国、ラトビア共和国、リトアニア共和国、ノルウェー王国、モルドバ共和国、ロシア連邦、スウェーデン王国、ウクライナなどの10ヵ国にまたがって登録されています。
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石見(いわみ)銀山とは
現在の島根県大田市大森町を中心として、仁摩町、温泉津町にまで鉱脈が広がっていた、戦国時代終わりから江戸時代の初めの頃までの、日本でも最大級の銀山でした。1969年には日本を代表する鉱山遺跡として、国指定の史跡に登録されています。
龍源寺間歩(まぶ)
間歩とは、鉱脈から銀を掘り出すために掘られた坑道のことで、石見銀山には500もの間歩が存在します。その中でただ一つ一般に公開されているのが龍源寺間歩になります。せっかく公開されていますが、その全貌はみることができません。ありの巣のように入り組んだ坑道は一部しか公開されていないのです。
銀が掘られていた時代
石見銀山で銀が掘られていた時代は、現在のように電気もありませんし電動で掘る機械もありませんでした。サザエの殻に油を入れて火を灯し、手作業で掘られていたのです。タガネで掘る作業をする銀掘(かねぼり)と呼ばれる人が24人と、それを手伝う手子(てご)と呼ばれる10歳前後の子供10人、更に掘り出したいらない石を運ぶ役割の人が5人いたと記録に残っています。地下を掘り進むとどうしても水が湧き出てきます。それを木製のポンプを使って汲んだり、四角い桶で汲んでいました。また、坑道の奥には新鮮な空気は届きませんので、病気になる人が大勢いて、30歳を迎えると長寿の祝いをしたほどです。農家で使われる、穀物の殻を吹き飛ばすための農具を改良し、送風機として奥まで空気が送れるようにと使われていました。柄山負(がらやまおい)と呼ばれる石を運び出す仕事は、集めた石を背負い、狭い坑道から運び出す仕事で大変なものでした。
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)
鉱山の守り神の金山彦命を祀っている佐毘売山神社は、1434年頃に室町幕府将軍の命令で建立された神社で、その当時、鉱山を自分の領土として所有していた大内氏や戦国大名達が崇め敬い、保護されていました。佐毘売山神社は石見銀山で一番大きい神社になり、この地に暮らす人々の心のより所となっていました。石段は100段あり、境内はとても広く、かなり大きな社殿が重々しくどっしりと構えています。神社の周りには昔の住居跡が棚田のようになって石垣として、その姿を残っているのも見所です。
石銀(いしがね)
標高537mの仙ノ山の頂上付近に石銀地区があります。戦国時代から江戸時代に渡って銀が掘り出されたり製錬がとても盛んに行われていました。その当時、この地区が産業都市として栄えたことをうかがえる坑道や採鉱の跡、平坦地には精錬所や住居の跡と思われるものや石垣があり、人々が住んでいたということで、もちろん池や井戸などもあります。かつて行われた発掘調査では、採鉱に使われていたツルハシやタガネ、陶磁器や古いお金、キセルといった生活に密着したものが多く発見されました。石見銀山が稼働していた頃、この地域が産業都市として栄えていたことを物語っています。
本谷
石銀地区から本谷口番所跡を通り、原田駐車場へ行くまでの間に、銀山最大規模の「大久保間歩(2008年に一般公開予定)」や、発見した者が徳川家康から褒美をもらったとされる「釜屋間歩」、近年になってから発見された「謎の岩盤遺構」などがあります。
山吹城跡
戦国時代に、銀山を争って奪い合った拠点とされたのが山吹城です。標高414mの要害山の頂上に、1533年頃に築かれた山吹城は長い間、銀山の奪い合いで争いが繰り広げられ、1562年に毛利氏が攻め落とすまでの30年も続きました。山吹城の麓には番所や奉行所の跡があります。
露頭掘り跡(ろとうぼりあと)
露頭掘りとは、坑道を地下に掘り進んで行くのではなく、土地の表面に出た銀鉱石を削る採掘の方法のことで、仙ノ山の頂上付近に、この露頭掘りの跡が広くあります。銀が含まれている率の高い鉱石が、この付近では採れたのです。
石見銀山案内
アクセス:JR大田市駅・仁万駅・温泉津駅からバスで大森町下車 島根県/文化財課世界遺産登録推進室 http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/iwami_ginzan/outline/
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