世界遺産の歴史
現在、世界中に存在している世界遺産ですが、始まりのきっかけは何だったのでしょうか。何かを始めるには、必ずきっかけがあるはずです。世界遺産も例外ではありません。それでは、その歴史を追ってみましょう。
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事の興りは?
世界遺産条約の発足の序曲ともなった出来事がありました。1960年代のことです。それまで、ナイル川の氾濫に頭を悩ませていたエジプトでしたが、ナイル川流域に、他国の援助を受けてアスワン・ハイ・ダムの建設の話が持ち上がったのです。これにより、ナイル川の氾濫を抑えることができるだけではなく、農業用水の確保もできるため、計画は進められていきました。しかし、このダムを建設することによって、古代エジプト文明に遺跡でもある、ヌビア遺跡がダムの底に沈んでしまうことになります。そこで、ユネスコがヌビア水没遺跡救済キャンペーンを実施しました。このキャンペーンには世界60ヵ国もが賛同し、技術支援や考古学調査支援を受け、遺跡の中のアブ・シンベル神殿を解体し、別の場所に移すということが行われました。これをきっかけに、歴史上価値のある遺跡や建物、もちろん自然なども、国際的に組織を作り、守っていかんとする考えが生まれました。
世界遺産条約の発足
こうした価値のあるものを守ろうとする気質が、ユネスコのパリ本部で開かれた代17回ユネスコ総会において、【世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)】が、その場にいる全ての人の賛成のもと、成立したのです。1973年にはアメリカ合衆国が同意の手続きを取り(国会の承認が必要)、条約を結びました。次いで20ヵ国が条約を結んだ1975年に、正式に世界遺産条約として発効されたのです。
日本の参加
先進国としては最後になる1992年に、125番目の加盟国として世界遺産条約を結びました。加盟年を見ると、思ったより近年であることに驚きますね。日本はまだ加盟してから日も浅いのですが、テレビ番組などで、世界遺産の特番を組むなどして、感心は高いものとなっています。
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無形遺産条約の発足
民族文化財や口承伝統、民間伝承などの形のない文化を私たち人類の財産とし、保護していくために無形遺産条約は作られました。2006年1月20日に無形遺産条約の契約を結んだ国が30ヵ国になり、2006年4月20日に正式に発効しました。ユネスコはこの条約に先立って、2001年から1年おきに、世界の伝統のある表現文化やその空間を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として世間に知らせてきました。この宣言では、日本の能楽や人形浄瑠璃文楽、歌舞伎が登録されています。無形遺産条約ができたあとは、先に発表された宣言のリストは、無形遺産条約の中に組み入れられています。
私たちにできること
世界遺産は全人類の宝です。その保存や維持、修復などにユネスコは積極的に働きかけています。日本にある世界遺産の登録数は13ですが、内訳を見ると数多くの世界遺産が存在しています。ユネスコの発表では、地球温暖化が世界遺産にもたらす被害もあるそうです。そこで今、私たちにできることは何でしょうか。地球温暖化にも意識を持ち、観光にでかけた先では気持ちが緩みがちになりますが、ゴミの分別もきちんとすることで、地球温暖化や環境保護に少しでも役立つのではないでしょうか。世界遺産は人類の宝です。この先もずっと守っていくべきものですので、一人一人が意識して一つのことを行うことを世界中の人々が行えば、とても大きなことになります。世界が一丸となって行っているこの世界遺産への取り組みは地球を救うことにもつながっていくのです。
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