今日、私たちが食べている「りんご」は昔からあったわけではありません。
むしろ、日本における「りんご」の歴史は浅いのです。では、日本にやってきたのはいつなのでしょう?
また、初栽培されたのはどこなのか・・・と謎は深まるばかり。そこで今回は、日本におけるの歴史についてふれてみようと思います。
りんごが日本にやってきた「時期」や「場所」など、さまざまな歴史にふれていきましょう。
日本に渡来したのは、平安時代中期(900年頃)とされています。 当時は「和リンゴ」という粒の小さな野生種…いわゆる「観賞用」のりんごでした。
今日、栽培されている「西洋リンゴ」とは全くの別物です。
では、現在食べられている「西洋リンゴ」が普及したのはいつ頃でしょう? それはアメリカから75品種を輸入、苗木を全国に配布した明治4年(1871年)以降です。その後栽培は定着、今市場に出ているのは30品種にあたります。
また、品種改良中のものや研究材料として栽培しているものを含めると・・・200種にも及ぶとか。
「りんご」には、「和リンゴ」と「西洋リンゴ」があるってご存知ですか? 「和リンゴ」とは、平安~鎌倉時代に中国から入ってきたりんごです。
小振りで酸味が強く、江戸時代にはお菓子として食べられていたとか。
しかし…明治時代に「西洋リンゴ」が導入されてからは徐々に少なくなり、今ではほとんど作られていません。
もともと、「和リンゴ」は「林檎」という漢字とともに日本へやってきました。当時は「利牟古(りむご)」と呼ばれ、「りんご」という和名が付けられたのは江戸時代です。
ところが、「西洋リンゴ」の本格的栽培と数々の品種改良が進むにつれ、「りんご」という名前は「西洋リンゴ」を意味するようになりました。
「今のりんご(西洋リンゴ)」と「昔のりんご(和リンゴ)」の違い、わかっていただけましたか?
初栽培は青森…と思われがちですが、そうではありません。北海道函館市に隣接する小さな町、七重村(現:七飯町)が初栽培の地です。
明治元年にドイツ人の農業指導者R.ガルトネルが 「七重村農場」を開設、翌年(明治2年)には母国から取り寄せた苗木を植え付けた…これこそが日本における最初の栽培といえるでしょう。
その後、農場は明治新政府の手に引き継がれて「七重官園」となりました。
明治10年には「青森県りんごの始祖」とされる菊池楯衛(きくちたてえ)が来園、接木や苗木の仕立てといった技術を学んでいったそうです。
青森県ではそれらの技術が広まるとともに、栽培も盛んになりました。七重官園で習得した技術によって、リンゴ王国の基礎が作られた…といっても過言ではないでしょう。
七飯町(旧:七重村)のりんごは市場的な知名度は高くありませんが、非常に美味しいです。 中でも、「ジョナゴールド」や「ひめかみ」といった品種は地元で大人気! 小振りながらに蜜が入っていて、程よい酸味と甘味が楽しめます。 「ひめかみ」は果実全体に蜜が入っていて、皮を剥いた瞬間から味わえますが、すぐにぼける(柔らかくなる)ので東京方面への出荷数は限られているとか。そこで函館観光のコースに「七飯町」を取り入れてみては? 函館観光といえばやっぱり函館山や元町ですが、たまには違うコースを楽しんでみましょう。初栽培の地を散策するとともに、「七飯町」ならではの美味しいりんごを堪能してください。 青森や長野のとは一味違う、北海道らしいりんごに出会えるはずですよ♪
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