広東料理の達人
 

広東料理の歴史

960万キロメートルの国土を所有し、世界一人口(13億)が多い中国は、世界が注目している大国として日々経済成長をしています。「民以食為天(民は食をもって天と為す」は、中国古くからの思想でありまた多くの人々の願いでもありました。食べ物がない時代、貧しい時代、おなか一杯食べることは中国の人々の一番の願いでした。でも、このような「願い」は、世界3大料理の一つである中華料理を生み出す大きな原動力でもありました。中国も今は物豊富な時代、経済力のある大国と成長し、「お腹一杯食べること」から「質の高い食事」に変わりつつあります。時代の変化とともに料理の歴史も変わっていきます。

日本での広東料理

4000年以上の歴史を誇る中国は、料理の歴史が長く、世界の人々に認められる中華料理を生み出しました。横浜の中華街に行くと、半分以上のお店で広東料理を出しています。これは横浜中華街に、昔から多くの広東人が住んでいたことと大いに関係あります。理由はもちろんこれだけではありません。広東料理が日本人の口に合うことと、一般的な食材を使っているので食材の調達ができたことも理由に挙げられます。広東料理には野生動物を使ったメニューが数多くありますが、日本ではめったに食べることができません。日本人の習慣、考え方、風習などの影響から野生動物を食材として取り扱うのはちょっと難しいところがあるようです。

広東料理の野生動物メニュー

中国での蛇料理の歴史は長く、今から2000年前から蛇を調理して食していました。蛇料理は、滋養のための最高食材として当時は身分の高い人しか食べることができませんでした。「蛇は毒がある」と思っている人が多いかも知れませんが、食用に使っている蛇はそのような心配はありません。蛇以外に広東料理にはいろんな虫メニューがあります。アフリカなどでは虫はたんぱく質を取るための栄養源になっていますが、古代中国の人もこのような発想から虫を食べたかも知れません。蛇や虫を使った料理は広東料理に多いですが、広東以外の地方でも食べることがあります。

広東料理の発展に貢献した商人たち

「広東の人は商売人が多い」、「広東の人は商売が上手」と言っている中国人は多いです。これは昔も今も変わっていません。中国南に位置し、海と近い広東は交通の便利がよく、人の出入りが多いところです。昔、一般庶民と違って商人たちは中国全土を歩いていたので各地方の料理を食べるチャンスがありました。四川に行って広東料理とまったく違う味付けの四川料理を食べた広東の商人は、大変びっくりしたそうです。広東に戻ってきた商人は、その味を再現するために料理人たちと色々工夫したそうです。このように各地を歩く商人たちは、広東料理の歴史に大いなる貢献をしました。

広東料理は香港人の生活の一部

香港に住んでいる人の中には広東からの移住者が多く、広東料理は香港で最も一般的に食べられているメニューです。広東と香港では同じ言語である「広東語」を使っているし、食事も同じく広東料理を食べるので生活習慣は非常に似ていると言われています。香港の人も広東の人と同じく、飲茶と点心を好み、滋養強壮に良いとされるスープをよく作ります。手間と暇をかけて健康に良い食事を普段から取ることは、香港人も広東人も変わりありません。

広東料理博覧会

1956年、中国で初めての広東料理博覧会が広州で開かれました。当時展示された広東料理レシピは5457種、点心(てんしん)は825種もありました。1949年10月1日、中華人民共和国(中国の全称)が誕生してからそれほど経っていない時期に開催された「広東料理博覧会」でしたが、これほどの料理と点心が展示されるとは誰もが思わなかったことでした。煮る、煎じる、蒸す、炒める、炙る、焼く、漬ける、揚げるなど全ての調理方法を使って甘い、酸っぱい、塩辛い、苦い、渋い、辛いなどあらゆる味覚を楽しませ、広東料理の歴史発展に大きな一ページを飾った博覧会だったそうです。