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戊辰戦争

日本の歴史の変わり目の出来事でもある戊辰戦争は、王政復古によって成立した明治新政府が、江戸幕府の勢力だった者らを一掃した内戦です。明治元年の干支が戊辰だったことから、こう呼ばれるようになりました。この戦いに勝利したことにより明治維新が成功し、新しく明治政府が誕生し、現在につながる近代的な中央政権国家の道を歩き始めます。

東北戦争

戊辰戦争は3つの段階に分けられ、鳥羽・伏見の戦いから始まり、最大の激戦、東北戦争となり、箱館戦争で幕を閉じることになります。政局が激動する中、東北諸藩では佐幕派が多く、明治新政府によって会津藩主である松平容保が朝敵として追討の対象となると、益々同情が深まりました。新政府は総督府と軍の部隊500名余りを仙台藩に派遣しました。仙台藩に入った政府軍は、乱暴狼藉を働き、仙台藩を激怒させました。こうして仙台藩は会津擁護の立場を固めることになります。しかし九条総督は、仙台藩に会津追討を命じます。重い腰をあげた仙台藩は8,000人の兵を引き連れて会津国境へと向います。会津藩に対し、降伏を説得しますが、武装・恭順を譲りませんでした。仙台藩主と米沢藩主は、会津藩への穏便な処分を望みますが受け入れてもらえず、新政府軍下参謀・世良が東北地方への攻撃を呼びかける密書が発覚し、会津藩が新政府軍に先制攻撃をしかけ、新政府から白河城を奪い取りました。東北諸藩は団結し、軍事同盟へと変わります。仙台藩は岩沼に滞陣していた九条総督や醍醐参謀らを捕らえて、仙台城下にある重臣の家に軟禁しました。東北諸藩の首脳は白石に集まり、『白石盟約書』に調印し、同盟政府の『列藩同盟公議府』が置かれ、奥羽列藩同盟が誕生します。後に長岡藩などの諸藩も加わることになります。

庄内戦争

江戸警護役として新政府軍に寝返った久保田藩(秋田藩)を中心とする戦いが起こります。久保田藩は庄内藩に南から、仙台藩には南東から、北東からは盛岡藩に攻め込まれ、新政府軍と共に防衛線を行いますが形勢は不利な状態でした。庄内藩には久保田城の支城までおとされ、やがて久保田城の目前まで迫ってきていました。しかし、列藩同盟の中核、仙台藩と米沢藩が降伏したため、庄内藩も一斉に撤退を余儀なくされました。新政府が兵力を増強し、庄内藩は防衛線を繰り広げますが、やがて降伏。東北戦争の勝敗がほぼ決まると、開城・恭順しました。

会津・北越戦争

会津藩は新政府軍に先生攻撃をしかけ、白河城を奪い取りますが、薩摩藩と新政府軍に再び奪還され、以後100日に渡り攻防戦が繰り広げられました。同盟軍は白河城の再度の奪還を試みますが失敗に終わります。

北越戦争では長岡城と新潟港が戦いの場になりました。新政府軍が長岡城を落とし、新潟も陥落。越後全域が新政府軍の支配下に入ります。武器の補給を新潟港に頼っていた奥羽列藩は深刻な状況に陥ります。

仙台戦争

仙台では『平城の戦い』『二本松の戦い』『旗巻峠の戦い』が繰り広げられます。裏切りなどにより、新政府軍が勝利を勝ち取ります。

東北戦争の終結

母成峠の戦いで、新政府軍は同盟軍の防衛線を突破しました。会津藩兵と旧幕府軍残党勢力は若松浄に篭城します。北越戦線で降伏した米沢藩が仙台藩に働きかけ、本土決戦をしないまま新政府に降伏、1ヶ月に及んだ若松城篭城戦の末、会津藩も降伏することになります。こうして東北戦が集結しました。

箱館戦争

戊辰戦争最後の戦いの場となった箱館(函館)で、新政府軍と旧政府軍との戦いが繰り広げられました。榎本武揚ら、一部の旧幕府軍は、旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出します。仙台で大鳥圭介、土方歳三ら旧幕府軍の残党勢力2,500人を収容して北海道に向います。北海道松前藩は奥羽列藩同盟側に属していましたが、後に新政府側に寝返ってきて、榎本らは松前藩の箱館五稜郭などの拠点を占領しました。それまで北海道を支配していた東北諸藩が敗戦すると、北海道に新政権を打ち立てました。北方の防衛開拓を名目にして、榎本らは旧幕府政府による蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に亭主しましたが、新政府は認めるどころか兵を派遣してきました。旧幕府軍は松前、江差を占領しますが、要となる開陽丸を沈没させてしまい、海軍兵力が低下してしまい、新政府軍の上陸を許してしまうことになります。5月18日、土方歳三が弾を受けて箱館に散り、榎本らは新政府軍に降伏し、戊辰戦争は箱館の地で終わりを迎えました。