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江戸から東京に

長く続いた江戸時代、江戸に皇居を置いていなかったため都ではありませんでしたが、江戸幕府が置かれていたことによって、事実上日本の首都として機能していて、政治経済の中心地として発展していまきました。幕府の政庁が置かれる行政府の所在地であり、征夷大将軍の住む江戸城の城下町でもありました。幕末には政治の中心が京都に移りますが、江戸から東京になると、再び首都として返り咲きます。日本の歴史の中でも、大きな節目となります。

東の京

明治元年、明治天皇が『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』により、江戸から東京と改称されました。天皇が政務を江戸で執ることを宣言し、江戸を東京と改称するという内容です。本文と副書からなり、本文では先に挙げたことを述べ、副書では天皇が東京で政務を執ることの意義を述べています。

朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東國第一ノ鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ之其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲテイセヨ

私は、今政治を自ら採決を下すことになり、全てを鎮め治めている。江戸は東国で第一の大都市であり、四方から人や物が集まる場所である。当然、私自らその政治をみるべきである。よって、以後江戸を東京と称することとする。これは、私が国の東西を同一視するためである。国民はこの私の意向を心に留めて行動しなさい。

こうして、江戸から東京に変わり、天皇の東京行幸によって、江戸城が東京の皇居とされました。翌年、明治政府も京都から東京に移り、日本の首都として、東京が返り咲くことになります。また、町奉行支配地内を管轄するための東京府庁が開庁されました。

それまで都であった京都の東に位置するので『東京』とされたため、『地名としては江戸のまま。東京は京都から見て東にある都という意味に過ぎない』という考えが、しばらくの間根強く存在していました。1,889年に市制施行で東京市となりました。東京府と東京市が廃止され、東京都となるのは、昭和に入ってからになります。

東西両都案

明治に入り、大久保利通は当初、大坂遷都案を提出しています。これには、公家らが、遷都を行うことで、千年の都である教徒を放棄することになると大反対しました。大坂は、遷都をせずとも衰退する心配がなく、世界の大都市の一つでもあり、このまま京都で政治を執っていると市民が離散して寂れてしまう心配のある江戸を帝都にするべきだとの意見がありました。そこで、遷都はせず、京都を都としてそのまま残し、新たに東京も都とする東西両都の案が出ました。これだと遷都ではないため、反対している公家ら保守派にも受け入れられやすいとの案でした。

東京遷都

江戸を東京と改称する構想は、江戸時代後期にはすでにありました。『混同秘策』に、経世家・佐藤信淵が記しています。これに影響を受けた大久保利通が、江戸を東京とする意見を提出しました。江戸への遷都は明治新政府首脳らも考えていたことでしたが、京都の公家の反発が強く、『江戸都である』と、宣言したと言われています。これは、天皇が江戸で政治を行う必要があったため、江戸を東京(東の京)としたものです。明治元年に天皇が東京に行幸したときには、江戸城を東京城と改めました。一度京都に戻り、翌明治2年、2度目の東京行幸の際に、東京城から皇城と呼ばれるようになります。このとき、明治政府が東京に移され、事実上の東京遷都となりました。東西両都の方針通りになり、京都市民へ配慮して東京遷都を明確にはしませんでしたが、こうして江戸から新しく東京が誕生したのです。また一つ、歴史が塗り替えられることになりました。