日本の歴史の始まりは、旧石器時代から紹介していきましょう。現在、何をするにも困らない便利な世の中に暮らしている私たちからしてみれば、石器を使って生活していた時代が不便そうで、自分だったら無理だと思う人もいるかもしれませんが、その時代時代に合わせた暮らしぶりをしたでしょうし、テレビやラジオがなくても、他の地域との情報の共有や伝達ができなくても、困らずに生活していけたのでしょう。
日本列島に人類が住み始めるのと共に、旧石器時代が始まります。日本列島に人類がいたという足跡は、20~30万年前までになると言われていますが、確実なものが出土していないため、年代が確認できるものとしては約35,000年前からになります。
日本列島のおおよその形ができつつあったのが約500万年前で、ユーラシア大陸と陸続きになっていました。度重なる火山の噴火による地殻変動や氷期と間氷期を繰り返していた氷河期時代の地形の変化によって、13,000~12,000年前には大陸から離れて、現在の日本列島になったと言われています。
こうしてユーラシア大陸と陸続きだった頃、様々な動物が宗谷や津軽、対馬、朝鮮などの海峡を渡ってきたと考えられ、それらの動物を追って、旧石器人も渡ってきたと考えられています。氷河期に大陸と繋がっていた北海道には、マンモス動物群が宗谷から渡り、マンモスを追って、後期旧石器人が渡ってきた可能性が高いと言われているのです。一方、本州や四国、九州、琉球には新しい動物が入ってくることはなく、そのため後期旧石器人も入ってきませんでした。これらの地域には、古くからの固有種が多く残ることになったのは、このためです。
縄文時代より以前の時代は、遺跡や遺物が長いこと発見されなかったために、日本列島に人類は住んでいなかったと考えられていました。ところが、群馬県で旧石器が発見されたのを皮切りに、日本での旧石器時代の調査が始まり、30,000年前から12,000年前の後期旧石器時代の遺跡が、日本列島で4,000箇所も確認されました。
後期旧石器の遺跡は数多く発見されていましたが、それ以前のものがなく、後期旧石器時代以前の人類居住はなかったのではないかとする中、東北地方を中心に、次々と前期・中期旧石器時代が日本にあったとする証拠が出土しました。それまでの常識を覆す成果とされましたが、中心人物の藤村新一(現在は違う名字を名乗っている)が発掘現場に石器を埋めているところを撮影され、旧石器発掘捏造を報じられたことにより、前期・中期旧石器時代の確実となる遺跡は今のところ存在しないということになりました。
旧石器時代の遺跡は、見晴らしの良い台地や丘陵、高原などにあることが多く、生活の拠点となる場所の遺跡や、獲ってきた獲物の解体場、石器製作場などの遺跡が見つかっています。ですが、定住していたとする住居の遺跡が少ないことから、一つの場所に定住せず、一定の場所の中を移動しながら猟などをして生活していたと考えられます。
旧石器時代の住居の多くは、洞窟や大きな岩の陰などを上手に利用していたことが知られていますが、そんな中で、竪穴式住居も見つかっています。20,000年以上前の木を組み木にして、皮や草で覆って作られていて、囲炉裏で火を使っていたことも色の変化で分かっています。また、こうした住居の他にも、土坑墓も見つかっていて、生前身につけていたものや、石器や玉などが副葬品として発見されています。
後期旧石器時代には、石を連続的に打ち剥がす、石刃技法という方法で作られたナイフ型石器が数多く出土しています。木や骨を軸にしてくくりつけ、切ったり突いたりするのに使われていたと考えられています。旧石器時代には、狩猟を行って食料としていました。遺跡からは牛やナウマンゾウ、鹿、イノシシ、ウサギなどの骨が発見されています。
旧石器時代の人骨が少ないわけは、日本の土壌が火山灰による酸性土壌であることが多く、遺跡に人骨が残る例が少ないのです。数少ない旧石器時代の人骨や獣骨は、歴史を知る上での貴重な資料と言えるでしょう。