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邪馬台国・卑弥呼

日本の歴史の授業で、邪馬台国・卑弥呼のことを習いましたね。弥生時代の後期、倭国の女王とされた人物です。封号は親魏倭王。謎の多い人物で、中国の、魏志倭人伝などでしか卑弥呼の人物像を見ることができず、邪馬台国がどこにあるのか、実際に卑弥呼は存在したのか、存在したのであれば、日本の歴史の中で、誰がそれに当てはまるのかなど、様々な議論がされています。

邪馬台国はどこか

邪馬台国は魏志倭人伝に出てくる国の名前で、弥生時代に日本にあったとされています。女王が国を治めていたことから、女王国と魏志倭人伝では記されています。
しかし、自国のことでありながら、邪馬台国がどこにあったのかはっきり分かっていません。畿内とする説と、九州とする説の二通りがあります。

畿内説

内乱が激しくなっている中国や、倭国大乱からの影響を避けるために、都を大陸から離れた纏向という奈良盆地にしたとする説です。古くから大和は開けた土地で、人口が20万人以上いたとされている邪馬台国ですが、奈良県であればそれが可能だということです。また、畿内では新聞でも取り上げられる、考古学的な古墳の発見も相次いでいたことから、畿内の地域を巨大な勢力が支配していたと考えられています。

九州説

日本は5世紀以降に全国統一されており、邪馬台国があったとされている3世紀の日本はまだ地域分権国家でした。この時代に、九州から畿内までの広い範囲を統治した、大和朝廷のような大きな権力が存在したとは考えにくいため。弥生時代の畿内では、祭祀用の青銅器の一つである銅鐸が、大和朝廷が成立してからの日本の歴史には存在しません。九州地方で祭器だった銅矛や銅剣、銅斧などは神話にも登場し、剣は誰もが知っている通り、天皇家の三種の神器にもなっています。そのため天皇家が畿内から発生したとは考えにくく、九州からきて大和朝廷を樹立したと考えるのが妥当であり、邪馬台国は九州にあったと考えられているのです。

卑弥呼は誰だったか

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼が、古事記や日本書紀に書かれている人物の、誰にあてはまるのか、いまだに解明されていません。この議論は江戸時代からされているのです。

神功皇后説

江戸時代までは、卑弥呼=神功皇后だと考えられていました。日本書紀に書かれている『神功皇后紀』では、魏志倭人伝の卑弥呼に関する記述を引用しているからです。もしこの説が本当であれば、邪馬台国はヤマト王権があった畿内に存在したということになります。

熊襲の女酋説

古事記の解読を行った江戸時代の国学者である、本居宣長らの説です。卑弥呼は、熊襲が勝手に朝廷を名乗っていたものではないかと考えました。宣長は、日本は本来独立を保った国という考えを持っていて、魏志倭人伝にある、卑弥呼が魏へ朝貢して、倭王に封じられたとする記述は、彼にとって受け入れられないものでした。宣長は、邪馬台国が九州にあったとして、熊襲の女酋が神功皇后の名前を語り、魏と通交したのではないかという考えです。

甕依姫説

筑後風時逸文に登場する、筑紫君の祖である、甕依姫が卑弥呼ではないかとする説です。

倭姫命説

垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が、卑弥呼ではないかとする説です。

夜麻登登母母曾毘賣命説

夜麻登登母母曾毘賣命は、近年になって、卑弥呼と同一人物である有力な候補に挙がっています。崇神天皇に神意を伝える巫女の役目をしていて、魏志倭人伝にある、『男弟有り、佐(助)けて国を治む』と言う、卑弥呼の男弟の関係に一致しています。

宇那比姫命説

宇那比姫命(うなびひめのみこと)は、別名、大倭姫(おおやまとひめ)と言い、大和王権の女王とも思われる名前を持ちます。

天照大神説

日本には卑弥呼に関する史料が残っていないのに、中国には残っているほどの人物であれば、日本では特別な存在だったであろうとして、日本の史書でこれにあてはまるのは、天照大神しかいないとする説です。アマテラスの別名は、オオヒルメノムチであり、ヒルメの『ル』は、古語で言うと『ノ』になり、ヒノメ、すなわち『日の女』となります。これは、太陽に使える巫女を表し、卑弥呼と符合するという説です。卑弥呼が没したとき、皆既日食が見られたと言われていますが、これは天照大神が天岩戸に隠れたという神話に相当すると言われています。また更なる共通点として、卑弥呼がいきていたとされる時代と、天照大神が生きていたとされる時代が重なり、卑弥呼には託宣を伝える弟がおり、天照大神にもスサノオという弟がいます。

卑弥呼=卑弥呼

これは、卑弥呼は日本書紀や古事記の中に人物にあてはめるのではなく、卑弥呼は卑弥呼でしかないとする説です。
どの説を見ても、部分的な符合はあり、魏志倭人伝のような実録が元となっている者に、後世にかかれた記紀を結びつけることは、学問的には正しくないとする説です。

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