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東郷平八郎

薩摩藩士で武士でもあった東郷平八郎は、大日本帝国海軍の軍人で、日露戦争などで日本の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を上げた人物でもあります。日露戦争では、当時屈指の戦闘力を持ったバルチック艦隊を一方的に破ったことから、アドミラル・トーゴー(東郷提督)として世界中の注目を集め、日本だけではなく、世界の歴史に名前を刻むことになります。『陸の乃木 海の東郷』と、乃木希典陸軍大将と並んで日露戦争の英雄として日本国民の尊敬を集めました。

薩摩藩士として

1,847年、薩摩藩鹿児島城下の加治屋町二本松馬場で、薩摩藩士・東郷実友、益子の四男として生まれました。幼名は仲五郎と言い、14歳で元服すると平八郎実良と名乗るようになります。1,867年に分家して一家を興し、薩英戦争に薩摩藩士として従軍し、戊辰戦争では新潟・函館に場所を変えて戦い、阿波沖海戦や箱館戦争、宮古湾海戦で戦いました。

海軍士官として

大政奉還後、明治の世の中になると、海軍士官としてイギリスのポーツマスに1,871年から1,878年まで官費で留学します。この際、大久保利通に留学を頼み込んだとき、『平八郎はおしゃべりだからダメだ』と一喝されて断られてしまいます。諦めきれない平八郎は、西郷隆盛に頼み込んだところ、『任せなさい』と快諾され、東郷のイギリス留学が決まったのです。西郷隆盛の東郷の才能を見込んだ人物眼の確かさが分かります。

留学先では『togo china』などとからかわれ、苦労が多く、大久保利通におしゃべりだといわれた性格も、すっかり無口になってしまいました。周囲に宮古海戦に参加していたことを教えると、一変、一躍英雄扱いされることになります。この留学時に国際法を学び、日清戦争のときに、防護巡洋艦『浪速』の艦長として、停戦の警告に応じない英国の商船を撃沈したときも、国際法に違反していないと判断することができました。このときの、落ち着いて物事を判断できる能力が、のちに連合艦隊司令長官に選ばれる要素にもなりました。

軍人として

1,894年の日清戦争では『浪速』の艦長を務め、豊島沖海戦、黄海海戦、威海衛海戦でその手腕を発揮します。その後、少将に進級すると同時に、常備艦隊司令官になりますが、澎湖島攻略戦には連合艦隊第一遊撃隊司令官として参加しています。1,901年には新設された舞鶴鎮守府初代司令長官に就任しますが、東郷自身は中央への移動を希望していました。日露開戦前に海軍首脳に呼ばれ、1,903年、第一艦隊兼連合艦隊司令長官に就任することになります。明治天皇に、東郷を選んだ理由を尋ねられた軍事首脳の山本権兵衛は、『東郷は運のいい男ですから』と奏した逸話が残されています。

1,904年の日露戦争では、ロシア東洋艦隊の基地である旅順港の攻撃や、黄海海戦をはじめ、海軍の作戦全般を指揮し、日本海海戦では脅威と世界中で恐れられていたバルチック艦隊を一方的に撃沈します。日露戦争での勝利は、ロシアの圧力に苦しめられていたトルコにとって、自分の国の勝利のように歓喜され、東郷平八郎は国民的英雄になりました。その年にトルコで生まれた子供に『トーゴー』と命名する者もおり、『トーゴー通り』と名前をつけた通りまでありました。

晩年

晩年になっても東郷平八郎が軍に与える影響は大きく、それまで詰襟だった第一種軍装を、ダブルの英国式に変更する案が出されると、東郷の『(詰襟を指して)この服で日本海海戦に勝ちました。』の一言で、変更の話しがなくなるくらいでした。

学習院の講演に招かれた際、『将来は軍人になりたい』と言った生徒に対し、『軍人になったら死ぬぞ。なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから。』と発言し、学習院院長に就いていた陸軍大将、乃木希典を憮然とさせた逸話も残しています。

海軍にとって、東郷平八郎の権威はかなりのもので、権限がないにもかかわらず、軍令や軍政の大事は、東郷平八郎に先にお伺いをたてることが慣例化していたほどです。

東郷平八郎の神格化

1,934年、87歳でこの世を去ります。東郷平八郎の死は世界中を巡りました。全国から考えられないほどの見舞い状が届き、『トウゴウゲンスイデモシヌノ?』と言う、小学生が書いた文面が新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。

国葬が執り行われことになると、東京湾を目指して、イギリス帝国海軍東洋艦隊旗艦『ケント』、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦『ヒューストン』、フランス、イタリア、オランダ、中国の艦船が一斉に出航。葬列に儀仗隊を参加させ、弔砲を定刻に発砲して、東郷平八郎の偉大なる功績をたたえました。国葬にあわせ、アメリカからはウィリアム・スタンドレイ海軍作戦部長がNBCから、イギリスからはボルトン・イヤーズ=モンセル海軍大臣のメッセージが英国放送協会からそれぞれ放送され、世界中が東郷平八郎の死を惜しみました。

生前、乃木大佐が神格化されて乃木神社が建立され、将来、自分を祭る神社の計画もあることを知り、やめるように強く懇願しましたが、東京都渋谷区、福岡県宗像郡津屋崎町に『東郷神社』が建立され、神として祭られました。