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オイルショック

オイルショックは原油の供給逼迫と価格高騰によって、経済が混乱した騒ぎで、1,970年代に2度もありました。第一次オイルショック、第二次オイルショックと呼ばれています。石油危機とも呼ばれる場合があります。日本だけではなく、世界の歴史に刻まれている出来事です。

第一次オイルショック

1,973年10月6日、第四次中東戦争が起こります。これに伴い、石油輸出国機構(OPEC)に加盟しているペルシア湾岸産油の6カ国は、10月16日に21%の原油公示価格の引き上げと、原油生産の削減、イスラエル支援国への禁輸を取り決めました。更に、翌年1,974年1月から、原油価格を2倍にすると決められました。

日本はアメリカと同盟関係にあり、イスラエル支援国家とみなされて禁輸される可能性があり、急遽中東諸国に三木武夫副総理を派遣し、日本の立場を説明し、イスラエル支援国家から除外するよう交渉し、更に政府は国民生活安全緊急措置法と、石油需給適正化法を取り決めて、事態の深刻化に対応しました。

インフレ

日本では地価急騰でインフレが発生していましたが、オイルショックによって便乗値上げが相次ぎ、インフレが更に加速されることになります。インフレを抑えるために公定歩合の引き上げや、企業の設備投資を抑制しました。このとき、マイナス成長を記録して、戦後から続いていた高度成長期が終わりを迎えます。

生活への影響

直接原油価格とは関係のない、トイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動が起こったり、エスカレーターの運転が中止されるなどの社会現象が起きました。買いだめは砂糖や醤油などにも及び、今買わなければ買えなくなる、物がなくなってしまうとの噂が広まり、スーパーでは開店と同時に商品が売り切れる状態が続きます。こうしたことから、店舗側は『お一人様一点まで』との制限をかけますが、反対に消費者の不安を煽ることになりました。

テレビは深夜放送が自粛され、ネオンサインが早い時間から消灯したり、日曜日にガソリンスタンドが休業するなどの措置がとられました。

第二次オイルショック

1,978年、イランで革命が起こり、イランでの石油生産が中断したために、大量の原油の購入をイランに頼っていた日本は需給が逼迫しました。更に年末には石油輸出国機構が『1,979年より原油価格を4段階に分けて計14.5%値上げする』と決めたため、原油価格が上昇しました。この時は、第一次オイルショックと同じくらい原油価格が高騰しました。

しかし、日本は第一次オイルショックで学習しており、深夜番組の放送自粛やガソリンスタンドの日曜休業などの省エネルギー政策が新党しており、オイルショックの影響は第一次のものよりも深刻にはなりませんでした。また、原油の値上げも長引くことなくイランも石油販売を再開し、数年後には原油価格が下落してオイルショックを乗り越えられることができました。

オイルショックの影響

第一次オイルショック、第二次オイルショックで分かったことは、日本をはじめ、先進国の経済が極端に中東の石油に依存しているということです。このため、油田の開発や調査が中東以外の地域で積極的に行われるようになりました。原子力や風力、太陽光、天然ガスなどの石油を使わないエネルギーの活用の模索や、省エネルギーに対する技術の研究や開発の取り組みへのきっかけにもなりました。石油の備蓄への体制も整えられたりもしました。自動車の大衆化から、自動車の消費する燃料が石油消費の比率の中でもとても高かったことから、鉄道などの公共交通機関を再評価する動きも出ました。第一次オイルショックでの学習効果は高かったようです。

輸出価格の急騰で、石油輸出国は政治と経済の両面でパワーを持つことになりました。原油輸出で得たドルは、世界金融市場の中での存在感を強くしました。湾岸諸国では莫大な歳出が可能になって、福祉の充実を達成することができました。