第二次世界大戦は、1,939~1,945年にかけて行われた、人類史上2度目の世界大戦です。連合国と枢軸国の2つの陣営に分かれて行われ、ヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線が主な戦場となりました。数千万人の犠牲者を出す人類史上最大の戦争になり、連合国の勝利で終結します。日本だけではなく、世界の歴史にも、最も悲惨な戦争として記録されることになります。日本では『戦後』といえば、この第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)を指すことがほとんどです。
世界を2つに分けた第二次世界大戦ですが、連合国側と枢軸国側に分かれます。当初中立国の立場をとっていても、途中から参戦している国も数多くあります。第二次世界大戦のきっかけは、1,939年9月1日早朝に、ナチスドイツがポーランド侵攻したことを受け、イギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告したことから始まりました。
交戦勢力 |
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連合国 |
枢軸国 |
イギリス |
ドイツ |
指揮官 |
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ヨシフ・スターリン(ソビエト) |
アドルフ・ヒトラー(ドイツ) |
損害 |
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死者 |
死者 |
太平洋戦争のことを日本政府は、大東亜戦争と呼称しています。真珠湾攻撃のあとの閣議によって、名称が定められましたが、後にGHQによって『大東亜戦争』の使用が禁止されます。日本は当初、ヨーロッパ対戦に不介入の方針をとっていました。外務省は日米交渉を続けていましたが、中国大陸からの撤退案を受け、これを全植民地からの撤退要求と日本は解釈し、事実上の最後通牒と受け止めました。これによって対英米蘭開戦が決定されます。
日本はドイツと同盟を結んでいて、中国とは問題を起こしていました。このことから日本は枢軸国として参戦することになります。アメリカは日本を過小評価していたこともあり、太平洋戦線が拡大するとは思ってもいませんでした。日本は真珠湾攻撃やマレー沖海戦などの対連合軍戦で大勝利を収めましたが、宣戦布告なしのだまし討ちだと相手国から非難されます。しかし、マレー沖海戦はイギリスに対して奇襲攻撃をしかけた形になりますが、真珠湾に関しては、駐アメリカ大使館の暗号文の書き起こしが遅れたからだということはあまり知られていません。日本軍は連戦連勝で破竹の勢いでした。
日本軍はミッドウェイ海戦において、油断と作戦ミスで主力正規空母4隻を一気に失うことになります。数多くの艦載船と熟練パイロットを失い、太平洋戦争敗北のターニングポイントになります。それまで勝利に沸く日本国民には、この海戦での敗北はひた隠しにされます。レイテ島ではレイテ海戦で勝利したアメリカ軍が上陸し、日本軍との間で激戦が繰り広げられます。日本軍はM4中戦車や火炎放射器など、圧倒的な火力と戦力でなす術もなく敗走しました。硫黄島でも壮絶な戦いがなされ、投降しない日本軍に対し、アメリカ軍が壕の入り口を潰してしまうなどの悲惨な現状がありました。
最終的には8月6日の広島、3日後の9日長崎への原子爆弾投下が行われ、一瞬で十数万人の命が失われ、その後も爆弾の影響で20万人が命を落とします。こうして8月14日、昭和天皇がポツダム宣言の受諾の意思表明をし、翌15日に玉音放送をもって終戦が告げられました。