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高度成長期

第二次世界大戦後、日本は高度成長期を迎えます。日本の歴史上、類を見ないほどの飛躍的な経済規模の拡大と、継続がありました。世界から見ても小さな島国だった日本が敗戦から復活し、安定した成長を遂げるのです。

日本の高度経済成長

経済成長は、条件さえ揃えば飛躍的に伸びていきます。『付加価値生産力に関わる充分な資源の存在』『生産された付加価値を消費する充分な需要』『新しい価値の形をもたらす技術革新』などがあります。生産力を増やすための投資の勢いが盛んになると経済は大きく成長します。多くの投資は生産力と雇用も増大させ、相乗効果と相まって、需要を生み出します。需要と供給を投資が生み出すことで、付加価値生産は増大していきます。ただし、この需要と供給が増えることでの雇用を含めたバランスをとることはとても難しく、様々なことが原因となって高度成長がストップすることにもなります。

日本の成長期

日本が経済的な高度成長を遂げたのは、1,955~1,973年の18年間で、敗戦による混乱や荒廃も1,950年代に入ると朝鮮戦争の特需があり、徐々に戦前の水準まで戻り、更なる高度成長が始まります。それまで石炭に頼っていたエネルギーが石油に変り、コンビナートが太平洋沿岸にズラリと立ち並びました。戦中の軍需生産で発達した技術力がつき、工業用地などの造成をし、消費意欲の拡大や高い貯蓄率、余剰農業活力を使った安い労働力、効率の民間投資などが挙げられます。

国民総生産(GNP)

日本は世界的に見ても稀な経済成長を遂げます。国民総生産が1,968年には資本主義国家の中で第2位に達するなど、飛躍的な成長をします。東京オリンピックが1,960年代に開催され、1,970年には大阪万博などの特別な需要もあり、戦後直後から絶え間なく続く経済成長は『東洋の奇跡』とまで言われました。マレーシアのように、日本の飛躍的な経済成長を手本とする国も現れました。

高度成長期の生活

この時期、家庭に急速に普及したものとして、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が挙げられます。これらは『三種の新器』と呼ばれていました。こうした家電が普及することにより、家事にかかる時間が短縮され、生活時間の変化にも大きな影響を与え、女性が社会進出することへの足がかりにもなりました。それまでは畳敷きの狭い茶の間だったものが、洋風のリビングルームに変り、子供部屋を設ける家庭も増えました。食生活も欧米型に変り、志望やたんぱく質を大量に摂取するようになります。自家用車を持つ人も増え、高速道路網の建設も次々と行われました。

ファッション

戦前は、女性は和服で男性は家では和服、外では洋服が一般的でしたが、女性がもんぺをはくようになり、着物を洋服に作り返るために洋裁学校が増えました。戦後直後にはアメリカンルックが流行り、ファッションショーも開催されます。1,953年にはクリスチャン・ディオールのコレクションが来日し、ファッションの思考がアメリカからパリに移ります。ショールを頭に巻く『真知子巻き』が流行ったり、1,954年に映画『ローマの休日』や『いとしのサブリナ』が上映されると大ヒットし、オードリー・ヘップバーンの上方やサブリナパンツ、映画の中で食べていたソフトクリームまでもが大ブームを起こします。1,958年には、皇太子妃に決まった美智子様が身につけていたヘアバンドやストール、白い長手袋も『ミッチースタイル』と呼ばれて空前の大ブームになりました。サンオイルが発売されて日焼けという習慣ができたり、ポマードに代わる整髪料が発売されて男性化粧品ブームが起こるなど、戦前とは全く違う日本がありました。

経済成長の弊害

高度成長期の後半になると、様々な弊害が出てきました。とどまるところを知らない経済成長を続ける日本でしたが、社会公共投資や福祉支出の水準は低いままでした。工場などからの環境破壊が起こり、公害病の『イタイイタイ病』『四日市喘息』『水俣病』などが問題になりました。大量生産の結果として、ゴミ問題などの公害問題も深刻化しました。環境に気を配らずに、経済成長を優先させた結果だと言えます。また、都市部に人口が集中し、過密問題が発生する一方で、地方では人口流出による過疎問題が起こります。高度成長期後半では、こうした政策の見直しを迫られるものとなりました。