近所の人から時々、「南部せんべい」をいただきます。「南部せんべい」は「草加せんべい」など醤油味のものと違って、優しい味付けなので小さな頃から好きでした♪
青森県や岩手県では古くから人々に親しまれていました。みなさんも、きっとこれを読めば「南部せんべい」が食べたくなることでしょう!
「南部せんべい」は小麦粉から作られていて、おもに青森県や岩手県、その周辺地域で食べられています。「八戸せんべい」とか「津軽せんべい」とも呼ばれているんですよ。特長は「みみ」があることではないでしょうか。
えっ?!煎餅に「みみ」?と思う人もいるかもしれませんが、これは「南部せんべい」を焼いたときに本来は型からはみ出してしまう部分を言います。ここも薄くてカリカリしていて、おいしいんですよ!
ちなみに私は先にこの「みみ」の部分を全部食べてしまってから真ん中のほうにいくという、ちょっとヘンな食べ方をします(笑)青森や岩手では、この「みみ」ばかりを集めて袋詰めされたものが販売されていて、人気があります。
「南部せんべい」もそれなりに古い歴史を持っています。大昔、建徳年間といわれていた1370~1372年のあいだに陸奥へやってきた長慶(ちょうけい)てんのうがお腹がすいて困っていました。
家来の赤松という人が近所でお米とそば粉を手に入れて、それを鉄かぶとを使ってせんべい風に焼き上げてみました。すると、てんのうはその素朴な味わいがとても気に入ったんですって。これが「南部せんべい」の始まりと言われています。
それ以来、おもに南部藩の領民がそばや大麦を主原料にして各家庭で焼いて、主食やおやつとして食べるようになったのです。明治時代になると、そば粉や大麦の代わりに小麦粉が使われるようになっていきました。この頃からしだいに商品として本格的に作られるようになったとされています。
もともと煎餅は南部の生活に欠かせないもので、さまざまな行事ごとには必ず登場していました。結婚式のときには、煎餅の上にお赤飯を握ったものをのせて、近所の人に配ったり、出産祝いの際には焼き麩(ふ)と煎餅を一緒に届けるという風習もありました。そんな歴史とともに受け継がれてきた「南部せんべい」は今もパリッと軽い歯ごたえと、香ばしい風味が多くの人々に愛されています!
私たちが知っている定番の「南部せんべい」はゴマやピーナッツが入ったものですよね!
昔はゴマ、ピーナッツ、まめ、この三種類くらいしかなかった「南部せんべい」の種類も今ではさらにバリエーション豊かになりました。ココア(チョコレート)やカボチャなどの甘い「南部せんべい」はクッキー生地で作られることも多いようですよ。
「白せんべい」、ゴマ、削りピーナッツ(落花生)、まめ、醤油、いか、エビ、唐辛子、りんごなど。
甘クルミ、ココア(チョコレート)、かぼちゃ、丸粒ピーナッツ(落花生)、紅イモ、抹茶など。
それでは、ここでゴマの「南部せんべい」の作り方を紹介しましょう。工場では、どのように作られているのでしょうね?
- 粗塩と重曹、水、小麦粉を混ぜ合わせて、よく練って「せんべい」の生地を作ります。
- まとまるようになってきたら、そのまま手のひらで転がしながら細長くのばしていきます。
- のばした生地を「せんべい」1枚分の量に切り分けます。
- 麺棒を使って「せんべい」の大きさに丸くのばして、そこにゴマをつけていきます。
- 煎餅用の二枚型という型に生地を入れて、焼いていきます。
- 焼き上がったら「みみ」を切りそろえて、できあがりです。
「南部せんべい」で有名な青森県八戸市と岩手県盛岡市は、それぞれどんな町なのでしょう?
八戸市は太平洋を臨む青森県の南東部にあり、北は百石町、下田町及び五戸町、西は南部町、南は階上町と岩手県の軽米町に隣接しています。
地形は、なだらかな台地に囲まれた平野が広がっていて、馬淵川と新井田川が流れています。臨海部には大きな工業港、漁港、商業港があって、立派な漁港施設などを持つ全国的にも知られている水産都市、北東北随一の工業都市と見なされています。
人口は2005年に行われた市町村合併によって、約25万人余りとなっています。
岩手県盛岡市は北上平野の北部に位置する県都です。岩手山などの山並みに囲まれ、市街地にはいくつもの川が流れています。さらに東北新幹線と秋田新幹線、東北縦貫自動車道、国道などが通る北東北の玄関口ともなっています。
また、東北新幹線の八戸延伸や秋田新幹線の開通などにより,今後ますます拠点性が高まっていくことが期待されます。人口は,2006年1月に北部に隣接する玉山村と合併したことで約30万人となりました。