かなり昔から食べられてきた「せんべい」は歴史も、もちろん古いものです。
その「せんべい」の種類によって歴史も少しずつ違ってきますが、そもそも日本での煎餅の歴史はいつから始まったのでしょう?
ここでは発祥地の紹介とあわせて、歴史について見ていきましょう。
煎餅の歴史はとても古く、昔々中国の前漢(紀元前202年~後8年)の時代から、すでにあったそうです。中国宮廷の正式な食事、1月7日や3月3日といった、おめでたい祝日の食膳に加えられていました。
その後、飛鳥時代に中国から日本に「せんべい」が伝わったとされています。その当時は水で小麦粉を練ったものを油で煎ったもので、今のうるち米やもち米などで作られた煎餅とは違うものでした。
さらに唐の長安に行った空海(平安初期のお坊さん)が亀の子型の「せんべい」を食べました。空海はその味を大変気に入り、作り方を習って日本に帰国したといいます。それから彼は京都にある和菓子屋に亀の子煎餅の作り方を教えたと言われています。
「せんべい」発祥地については、「草加せんべい」のページでも書いているように埼玉県だと考えられています。古くから草加市は稲作が盛んでしたし、日光街道の宿場町として、たくさんの旅行客が訪れていました。
また、江戸(今の東京)と近かったので、江戸食文化の影響を受けていたことも考えられます。このことから、私たちが普段「せんべい」と呼んでいるもののルーツは「草加せんべい」からきていると言うことができますね。詳しくは草加せんべいのページをご覧ください!
さて、煎餅は発祥地の埼玉、東京、全国各地と伝わっていきました。こうして本格的に普及しはじめたのは江戸時代のことです。そんな中、「塩せんべい」は下級品質の食べ物と思われていました。農家の人たちが余ったご飯を煎って蒸し、塩をまぜてのばし、竹筒に入れて丸型に抜いて天日干ししてから、炭火で焼いたのが始まりと言われているんですよ。一時期、姿を消しかけたのですが、縁日などで売られるようになってから人気が出ました。
スーパーなどで買う「せんべい」の多くは製造元が新潟になっています。新潟で作られた「せんべい」はおいしいとよく言われます。実際、新潟には米菓会社が数多くあるのですが、どうしてなのでしょう?
まず第一に「せんべい」の原料になるおいしいお米がたくさんとれる土地柄だいということが挙げられます。豊富な水や風土がお米作りに適しているんですね。このような理由から、新潟県は米菓産業の技術開発に力を入れてきました。
さらに経済面でのサポートも、米菓会社が増えるキッカケとなりました。ちなみに新潟県での米菓の出荷額は全国の半数以上を占めています。そんなわけで、米菓王国として全国的にもよく知られています。
おつまみとしてお馴染みの柿の種も「せんべい」の一種です。この柿の種は新潟県の長岡市が発祥の地なんですよ。
ある日、長岡市の煎餅屋さんの主人が「あられ」を作る際に使う金型をうっかり踏み潰してしまいました。もう直すことも、新しい金型を用意することもできなかったので、しかたなく潰れた金型をそのまま使うことにしました。そして出来上がった「あられ」を売ってみたところ、ほかのお店の主人から形が柿の種に似ていると言われ、それにヒントを得て「柿の種」が誕生したのです!
すると、たちまちその評判は全国に広がって、今ではいろんなメーカーが「柿の種」を作っています。柿の種という名称は商標登録されなかったため、一般名になっているんですよ。最近では柿の種にチョコレートがコーティングされた「柿チョコ」や「カフェオレ柿チョコ」などといった商品も発売されています。
ちなみに、最初に柿の種にピーナッツを入れたのは新潟に本社がある某大手米菓会社だと言われています。