日本の歴史を紐解けば、最初に存在した宗教は神道でした。奈良時代に日本に渡来した仏教ですが、平安仏教に始まり、鎌倉時代には鎌倉仏教と呼ばれる仏教改革がありました。浄土思想の普及や、禅宗が伝わることで新しく成立した仏教宗派のことを鎌倉仏教と呼ぶのです。
平安仏教が貴族仏教であったのに対し、臨済宗や曹洞宗などが武士階級に、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗などが一般庶民へと広がりました。鎌倉新仏教と呼ばれるものには、以下のものがあります。
浄土宗は法然を開祖として、阿弥陀如来を本尊としています。『南無阿弥陀仏』は阿弥陀仏に帰依(南無)しますという意味です。法然は43歳の時に、善導撰述の『勧無量寿経疏』により、専修念仏の道に進みます。叡山をおりて東山吉水に住んで、念仏の教えを広めたのです。
浄土真宗は、浄土宗開祖の法然の弟子、親鸞が浄土宗の教えを受け継ぎ、発展させたものです。門徒宗とも呼ばれます。浄土真宗とは、真の宗教である浄土宗の教えという意味で、親鸞は法然のもとから独立して開宗するつもりはなく、恩師である法然に師事できたことを、生涯の喜びとしていました。
臨済宗は、中国の禅宗五家の一つで、中国に渡って学んだ栄西らによって日本に伝えられました。師の立場にあるものから、弟子への悟りの伝達を大事にします。臨済宗は武家政権に支持され、政治や文化に重んじられていました。
臨済宗と同じ、中国の禅宗五家の一つです。日本へは道元が伝えました。豪族や下級武士、一般の民衆に広まった宗教で、『南無釈迦牟尼仏』と釈迦を本尊として扇ぎます。即心即仏の心で坐禅によって働きかけます。
鎌倉時代の末期におこった、浄土教の一宗派が時宗です。時宗の教えは、阿弥陀仏への信・不信を問わず、念仏を唱えると誰でも往生できると教えました。仏の本願力は絶対なので、信じない人にまで及ぶという考えからです。
法華宗は、日蓮を宗祖としています。法華宗本門流、陣門流、真門流、本門法華宗、など、日蓮を祖とする分派はまだまだ数多くあります。
南都仏教(旧仏教)の中で、新仏教に刺激されて新しい動きが生まれました。
日本における華厳宗は、中国での第3祖、法蔵門下の審祥によって伝えられました。華厳経の思想が反映され、東大寺の大仏、盧舎那仏像が建立されました。さらに明恵によって密教思想が取り込まれ、凝念が教学の確立をしています。
法相とは、存在のあり方を指します。
真言宗は空海によって開山されました。日本では、真言密教を実践するための作法や、修法の作法などの違いにより、分派していきます。教学は空海によって大成されていたので、宗内での論争はありませんでした。覚鑁が高野山で秘密念仏思想を提唱、台伝法院を創建し、教学を盛んにするための大伝法海の復興も行いました。東寺からの独立を計画し、東寺長官が金剛峯寺の座主を兼任することを廃止し、自らが座主に任命されましたが、反発を受けて失敗しました。
真言律宗は、真言密教の教えに基づき、金剛乗の戒律を学ぶ一派です。西大寺の叡尊を中輿の祖としています。空海は高祖とされています。叡尊は、それまであった荒廃した仏教に対する批判から、国が定めた手続きを踏まなければ認められなかった授戒を覚盛と共に、自らが行いました。戒律に対する考えの違いで覚盛と一線を引くことになりますが、覚盛の以来で、西大寺の再興を引き受け、さらに法華寺や般若寺の再興も手がけ、朝廷の許可を得ずに、独自の戒壇を設置しました。その後、弟子の忍性が叡尊が十分にできなかった民衆への不況に才能を発揮し、鎌倉に極楽寺を建立しました。これが真言律宗の起源です。叡尊の行ったことは、鎌倉旧仏教からの改革という位置づけをされていましたが、近年ではこれを疑問視する声があがり、真言宗や律宗の枠を超えた新宗派だとし、鎌倉新仏教にはいるのではないかとも言われています。