人形には古い歴史があり、おまじないや信仰の対象物として発展してきました。精霊や神に対する純粋な気持ちの祈りや願いは、人形を自分達の代わりとして供えられ、人体を模った彫像などが多く残されています。
病気になると、自分の代わりに草や木で作った人形に病気を移し、海や川などに流して病気治癒を願ったり、対立している者の人形を作り、刃物や矢で傷つけて呪詛をかけることも行われていました。現在でも伝わる紙でできた人形(ひとがた)は分かりやすい典型的なものです。人形(ひとがた)に病気治癒などの願い事を書き、焚き上げることが行われています。
丑の刻参りで有名な藁人形ですが、陰陽師が敵に見立て、呪詛に使った人形祈祷にそのルーツがあります。この藁人形を取り入れたものが丑の刻参りです。藁人形を怨む相手に見立て、鬼が現れると恐れられていた午前1時から3時の間に、五寸釘と共に、神木や鳥居に藁人形を打ち付ける呪いが生まれました。特に江戸時代には一般的な呪いの方法として、人々の間で実践されてきた人形を使う呪詛だったのです。藁人形を使った呪いには古典的な方法があり、現在それを忠実に再現することは難しいことですが、実際には現在でも全国の社寺で、木に打ち付けられた藁人形が見つかるそうです。『人を呪わば穴二つ』と昔から言い伝えられています。人を呪う気持ちは必ず自分にも帰ってきます。安易に藁人形の呪いなどしてはいけません。
藁人形は呪いの道具としてだけではなく、厄除けの道具としても使われています。巨大な藁人形を作って無病息災を祈願するもので、呪術で使われる藁人形とは違い、親しみの持てるものです。
人形が信仰の対象とされる象徴的なものが、東北地方に伝わる『おしら様』です。桑の木の棒の先に男女の顔や馬の顔を描いたり彫ったりし、布の衣を幾重にも重ねて着せたものです。家の神様で、イタコがおしら様に向って経を唱えると神霊が降りてきて、イタコを介して神託を伝えると信じられていました。
人形は、世界中で様々な形で愛されていますが、日本の人形に焦点を当てて、歴史を紐解いてみましょう。先史時代から人形が作られていましたが、記録が残っているものから鎌倉時代までを遡ってみましょう。
紀元前3000~300年頃までは土偶が作られていました。歴史の教科書で見たことのある人も多いでしょうが、宇宙人のようなかっこうをしたアレです。縄文期が終わるとともに、土偶作りも衰退したと考えられています。恐らく、呪術的なものとしてまたは信仰などの際に使われたのではないかと考えられています。また、遺体を埋葬する際にも、死者を守るために一緒に埋葬されていたと解釈されています。
古墳時代には埴輪が作られるようになりました。これまで様々な埴輪が出土されていて、馬などの動物を模ったものや、人物で言えば、巫女や武人、農夫、踊る人、水がめを運んでいる人など、身近な生活の模様が埴輪から垣間見ることができるのです。古墳時代が終わるとともに、埴輪も姿を消していきます。
古墳時代に姿を消した埴輪ですが、その造形に対する感覚は、やがて中国から渡来する彫像技術に磨きをかけることになります。数多くの仏像が作られるようになり、釈迦や眷属、仏界の諸尊の彫像が、信仰の対象として数多く作られるようになります。更には僧や役人なども模られるようになりました。喜怒哀楽の感情が見事なまでに表現されるようになります。
それまで粘土などで作られていた彫像が、木彫りで彩色されたものへと変っていきます。流鏑馬などの激しい動きを表現した人形が作られました。