博多人形の始まりは、鎌倉時代まで遡ります。博多を始め、鎌倉の架橋街、寺社から始まったとされています。安土桃山時代に、黒田長政の筑前入国の際に多くの職人が集められ、その中から素焼きの人形が生まれ、現在の伝統工芸の下地が作られました。江戸時代後半になると、博多で陶師を営む中ノ子安兵衛・吉兵衛親子、小堀流山笠人形の流れをくむ白水家らが活躍します。
それまで陶器を作っていた中ノ子安兵衛は、幕府の規制によって、長男に家業を継がせ、次男の吉兵衛には土産物向けとして土人形を作らせたことが博多素焼き人形の始まりとされています。その後、親子が作成した土人形は博多の町に広まり、全国への流通も盛んに行われ、師弟関係による同業者も徐々に増えていきました。明治23年に第3回内国勧業博覧会が催された際、出品した博多素焼き人形が絶賛されて表彰されることになりますが、このとき受けた賞状に『博多人形』とだけ書かれていたために、これが一般的に広まって、博多人形が誕生することになりました。古い歴史を持っていますので、日本文化を伝える人形の1つと言っていいでしょう。
博多人形の製法は、昔と現在では違いがあります。
古い時代の工程 | 現在の工程 |
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武者もの、歌舞伎もの、美人もの、童もの、能もの……博多人形には様々な形がありますが、その中でも変わった博多人形を製作している老舗があります。写真などから生き写しのようにオリジナルの博多人形を作成してくれます。
作品を見ると、子供の誕生を祝ったものや、結婚記念として花嫁姿のもの、子供の七五三の記念に、節句など人生の節目に、故人を偲んで……等など、そっくりに仕上げてくれます。完全オリジナルですので価格も高めになりますが、一生の記念になることは間違いありません。また、破損した際には修理も受け付けてくれますので、記念にと製作をお願いする人も多いようです。また、飾る場所に困らない壁かけタイプもあり、大変人気があります。
博多人形は、その姿の中にストーリーが表現されています。様々なものをモチーフにしていますが、人形師の独自の感性で、彫刻や日本画、伝統芸能の中から題材を学び取り、人形の姿に反映させていきます。人形師は、満足できる作品を作るために、そうした研究を惜しみません。だから博多人形には躍動感があり、その姿からストーリーを感じ取ることができるのです。
博多人形を見つめてみてください。人形師の想いが伝わってきませんか?