聖徳太子との関連人物
聖徳太子と主な関連のあった人物について触れてみましょう。どんな人達と関わりを持ち、どんな出来事があったのでしょうか。
推古天皇
第30第天皇、敏達の皇后だった豊御食炊屋姫、後に第33代推古天皇として即位します。日本初の女帝でもありました。聖徳太子とは、叔母と甥の関係にあり、太子を摂政としていました。蘇我氏とも血縁関係にあり、馬子を政治の中心においていました。在位は592年から628年までの36年間にも及びます。お上の地位まで上がったのは、蘇我馬子によるものでした。
蘇我氏
島大臣との別名を持ち、敏達元年に大臣を命じられてから、生涯政治の場で活躍しました。飛鳥にある大野丘に塔を建て、崇仏を推し進めてきた人物です。これにより、廃仏派である物部守屋との対立が激しくなり、蘇我氏の血を引く聖徳太子もまた、この混乱の渦に巻き込まれていきます。太子が四天王に祈ることにより、勝利をおさめた蘇我氏は自分の血縁でもある豊御食炊屋姫を頂点にたてて、摂政として太子を据えたのでした。飛鳥石舞台古墳は、蘇我氏の眠る場所とも言われています。
小野妹子
有名な「日出ずる処の天子、書を没する処の天子に致す。恙無きや云々……」との聖徳太子の手紙を持って、第2回遣隋使として中国に派遣されたのが小野妹子です。高句麗と隋は、たたかいの最中でしたので、その手紙を読んで、大変憤慨したと伝えられています。手紙の返事は、小野妹子が百済で紛失したとされていますが、返事の内容が、大変怒っているものだったため、妹子が隠してしまったとも言われています。そのため、一時は流刑にあいましたが、恩赦で後に大徳に昇進しています。小野妹子はこの名前のため、女性と勘違いされることもありますが、れっきとした男性です。