何故頂点に立てなかったのか
聖徳太子は皇太子という立場にいながら、どうして頂点に立てなかったのでしょうか。蘇我氏と物部氏のあらそいは歴史上でも有名な話しです。蘇我氏の血を引く太子は、もちろん蘇我氏側についていました。物部氏を見事滅ぼして絶対的権力を手に入れたのは蘇我氏です。太子の父である第31代の用明なきあと、息子である太子が頂点に立つのが普通の考えです。ところが、第32代として違う人物を推した者がおりました。他ならぬ蘇我馬子です。聖徳太子には山背皇子という息子がおり、太子に頂点に立たれては用明の皇后でもある推古の息子、竹田皇子に頂点の順番が回ってこないためです。推古と蘇我の二人にはこわい者なしで、馬子も大臣のトップとして政界を思いのままにしていたのです。