冠の色と地位
冠位十二階は「徳・仁・礼・信・義・智」の儒教の徳目で分けられたものです。紫・青・赤・黄・白・黒の冠の色に、それぞれ濃淡をつけて大・小とつけて区別しました。紫以外の色は、中国の「人間も社会も自然も、五つの元素である木・火・土・金・水の一定の循環法則に従って変わっていく」という五行説に基づいており、一番位の高い紫は、道教の尊いものを大切に扱うという色なのです。遣隋使として隋に派遣された小野妹子も、この制度で出世した一人です。聖徳太子が定めた冠の色は以下の通りです。
大徳 |
小徳 |
大仁 |
小仁 |
大礼 |
小礼 |
大信 |
小信 |
大義 |
小義 |
大智 |
小智 |
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このように色と地位が取り決められましたが、日本全国、全ての豪族や官人達にこの冠位が与えられた訳ではありませんでした。畿内やその周りの豪族のみに限られ、大豪族である蘇我氏や皇族には冠位は与えられていませんでした。当時の大臣は、大徳に定められた紫とは、別の紫の冠を着けていたとされています。大臣であった蘇我馬子は、聖徳太子と共に、冠を伝授する立場だったのではないかと言われています。こうして定められた冠位十二階は、大化の改新を迎えて、その後、冠位が増えてたびたび改正されていきました。
冠位十二階の昇進
冠位十二階は、それまで豪族による血族主義の世襲制と違い、能力さえあれば役人になれるものでした。さらには、昇進が可能な制度でもあったのです。隋に派遣された小野妹子は大礼という位にいましたが、最終的には大徳の地位まで登り詰めました。その他にも、何人もの人物が大礼から大仁へ、大仁から小徳などへ昇進したと言われています。小野妹子のように、遣隋使としての役割を果たした後に、異例の大出世を果たした人物もいて、努力や成果次第では、どんどん昇進することができました。これは十七条憲法の第十一条に、優れた働きや成果をあげた者には、それなりの待遇をするとされているからです。