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法隆寺

法隆寺は数多くの国宝があることでも知られています。また、飛鳥時代、聖徳太子が創建した寺院としても知られています。斑鳩宮の西に作られた法隆寺は、別名斑鳩寺とも呼ばれています。西院伽藍は現存する日本最古の木造建築物になります。

法隆寺建立

聖徳太子が斑鳩の地に斑鳩宮を建て、その近くに作られたのが法隆寺です。斑鳩宮跡とされる法隆寺東院の地下からは、前身建物の跡も見つかっていることから、7世紀の早い時期に、この地に仏教寺院が営まれたことは、間違いない史実とされています。


建立案は用明天皇

法隆寺は聖徳太子が建立したものとされていますが、元々は違ったようです。法隆寺金堂の『東の間』に安置されている、国宝の銅造薬師如来坐像の光背銘には、『用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなくして亡くなったため、意志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した』という意味の記述があります。現在も残る法隆寺西院伽藍は、聖徳太子の時代からあるものだとする説と、670年に全て焼け、再建されたものだとする説があります。

法隆寺の修理

大講堂、鐘楼、南大門など、これまでにいくつかが消失していますが、再建もされており、運よく焼けなかった建築物や仏像などの文化財を今に残しています。近年では、豊臣秀頼が、その後、第5代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院によって、伽藍の修造が行われています。昭和に入ると、『昭和の大修理』と呼ばれる修理が行われ、金堂や五重塔など、いくつかの修理が半世紀にも渡って行われ、昭和60年にようやく完成記念法要が行われました。宝竜寺の修理をしている中で、昭和24年に、解体中の金堂から火が出て、基調な金堂初層内部の柱や壁画を焼いてしまいました。これがきかっけで文化財保護法が制定されたのです。

西院伽藍

法隆寺南大門から入り、正面の小高くなった場所に位置しています。左右に金堂、五重塔があり、それらを回廊が囲んでいます。回廊の南側の正面に中門があり、その左右から伸びた回廊は、北にある台講堂の左右に達して終わっています。鐘楼、経蔵もあり、これらを西院伽藍と呼んでいます。

国宝

中門

入母屋造りの二重門。門内の左右に金剛力士像が安置されています。

国宝

金堂

入母屋造りの二重仏堂。解体修理中に火が出たことをきかっけに文化財保護法ができ、火が出た日が、文化財防火デーになっています。

国宝

五重塔

木造塔では日本最古。中には数多くの国宝があります。

国宝

回廊

金堂と同じ時期の建立。廊下でありながら、聖域を区切る壁としての役割もあります。

国宝

経蔵

奈良時代に建てられたものです。非公開。

国宝

鐘楼

平安期に建てられたもの。経蔵と対象の位置に建ちます。

国宝

大講堂

平安時代に建てられています。国宝の薬師三尊像と、重要文化財の四天王像を安置します。

東院伽藍

東院の伽藍は、斑鳩宮の跡に建立されました。八角円堂の夢殿を中心に回廊で囲まれ、礼堂、絵殿、舎利殿、伝法堂があります。

国宝

夢殿

天平時代の建立。中には聖徳太子の等身大と言われている、救世観音像が安置されています。

重要文化財

絵殿・舎利殿

鎌倉時代の建立です。

国宝

伝法堂

聖武天皇夫人の住居を移築して仏堂にあらためたもの。奈良時代の住宅遺構としても貴重なものです。

東院には、鎌倉時代に造られたもので、この他に、国宝の鐘楼、重要文化財の南門、四脚門があります。

その他の堂宇・仏像

法隆寺には数多くの国宝や重要文化財があり、これまでは主要なものを紹介しましたが、その他の国宝、重要文化財を名前だけ紹介していきます。

国宝

南大門、聖霊院、東室、三経院、西室、西円堂、食堂、鋼封蔵、東大門、百済観音、九面観音、夢違観音、地蔵菩薩観音、玉虫厨子、橘夫人厨子、阿弥陀三尊像

重要文化財

六観音像、梵天・帝釈天立像、四天王立像、金堂小壁画、西園院客殿、西園院上土門、西園院唐門、大湯屋、大湯屋表門、妻室、薬師坊庫裏、上御堂、地蔵堂、旧富貴寺羅漢堂、中院本堂、宝珠院本堂、宗源寺四脚門、福園院本堂、北室院本堂、北室院太子殿、北室院表門