山菜は山や野に自生しているもので、食用にする植物のことをまとめて『山菜』と呼びます。毎年山菜採りに出かける人もいて、自分だけの穴場は誰にも教えないのが普通のようです。昔父が毎年山ほど摂ってきていましたが、今ではその場所も、誰も分からずじまいです。なぜなら、山菜のありかは、親兄弟でも教えてはいけないとまで言われている貴重なものだったからです。
山菜の一番の特徴は、あのほろ苦さとアクの強さでしょう。粘りのあるものもあります。野菜として販売されているものに比べ、山菜には独特の風味があります。野菜として販売されているものは、品質改良もされていて、味もよくて収穫の量も多く、天候に左右されがちですが、ハウス栽培などもできるため、比較的安定しています。これが山菜の場合、自生しているものなので、収穫量もまちまちで人の手が加わっていないので、あの独特の苦味とアクの強さがあるのです。最近になって、山菜を栽培する業者も出てきたようですが、基本的には栽培はされていませんでしたので、はっきりとした季節の変化も楽しめるのが、山菜の良いところなのではないでしょうか。現在、スーパーでも山菜を見かけるようになりましたが、やはり見た目も他の野菜とは一味違って、色合いも鮮やかではありませんし、スーパーで販売されていながらも、元々は山に自生していて、自然そのままのものなのだなという印象を受けます。
ノビル、ヨモギなども土手や道端に自生して食用になるものですが、これらは山菜とは区別され、野草と呼ばれています。アシタバなども野草ですが、野草には山菜と違い、毒のあるものは少なく、おいしいかおいしくないかの違いになります。もちろん毒のあるものもありますので、むやみやたらに摂って食べるのは危険です。
山菜が食べられ始めたのは、縄文時代ではないかと言われています。日本最古の歌集と言われている万葉集にも、数多くの山菜が出て行きます。
『明日よりは 春菜摘まむと標めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ』
山部赤人の詠んだ歌ですが、これは、『明日こそふきのとうを採ろうと思うのに、昨日も今日も雪が降って積もってしまい、中々採ることができない』という意味になります。山菜でもあるウドは、なんと江戸時代から栽培もされていたそうです。とても好まれていた山菜なのですね。自分達で栽培して採れるものを野菜、野山で採れるものを山菜と、江戸時代から呼ばれるようになっていました。山や野原、水辺に生えているものは全て『山菜』だったのです。昔から山菜は人々に親しまれ、また、アクを抜いておいしく食べる方法も知っていたのです。
山菜が広まったきっかけ
平安時代から、山菜は体に良い物として広がりを見せましたが、江戸時代の三大飢饉による食糧難がきっかけとなり、数多くの山菜が発見されて、様々な食べ方も考え出されたのです。江戸の飢饉がなければ、山菜が世の中に広まるのも、もう少し後になっていたかもしれません。米沢藩九代目藩主・上杉鷹山は、藩医に山菜の食べ方を調べるように命じていました。これは凶作で食べるものがなくなったときに備えようとしたものです。1802年に、山菜とその食べ方を記載した『かてもの』を刊行して、人々に配りました。この『かてもの』のお陰で、天保の飢饉では全国に比べ、米沢藩では飢饉の犠牲になった人は、とても少なかったと言われています。『かてもの』には約80種類の山菜が記載されています。現在食べられている山菜の種類は、約300種類になります。