平等院は平安時代の後期、11世紀の建築です。京都府宇治市にある、藤原氏ゆかりの寺院で、山号を朝日山と称します。阿弥陀如来を本尊とし、開基は藤原頼通、開山は明尊になります。名前は知らなくても、10円硬貨に描かれているので、誰もが見たことのある建造物です。日本の歴史が誇る、建造物の一つでもあります。
平等院の建つ京都府宇治市は、平安時代の初期から貴族の別荘が数多くありました。9世紀に源融(光源氏のモデルと言われている)が別荘として使っていたものが宇多天皇に渡り、その孫、源重信を経て、摂政だった藤原道長の手に渡り、『宇治殿』という別荘になりました。道長が没すると、その子である関白・藤原頼通が宇治殿を寺院に改築しました。これが平等院です。当初、大日如来を本尊としていましたが、翌年には極楽浄土をこの世に作り出したかのような現在の鳳凰堂、阿弥陀堂を建立し、阿弥陀如来を本尊としました。
平安時代の後期の日本では、予想思想でもある『未法思想』が信じられていました。釈迦の入滅から2,000年がたったら、仏法が廃れて様々な災いが続き、世の中が乱れてしまうという思想です。平等院が創建された年は、まさにこの未法がはじまった年でもあり、当時の貴族たちは極楽往生を願って、西片極楽浄土の教主とされている、阿弥陀如来を祀る仏堂を競うように造営していました。京都市左京区には数多くの大規模な伽藍を持つ寺院が建立されたにも関わらず、歴史に名を留めるような寺院は何一つ残っていません。平安時代の仏像や壁画、庭園までもが残っているという点で、平等院はとても貴重なものとなっています。現在では鳳凰堂のみが奇跡的に残っていますが、かつては法華堂、多宝堂、五大堂、不動堂などもありました。
平安時代の面影を今に残す鳳凰堂。そして数多くの国宝や重要文化財を有しています。
1,053年に建立され、今もその姿を残しています。浄土式庭園の阿字池の中島に、東向きに立っていて、入母屋造りで裳階がついている中堂には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。左右には翼廊、中堂の後ろの尾廊の4棟が国宝に指定されています。東側の中央の扉を開けると、柱間の格子は本尊である阿弥陀如来の頭の高さに円窓が開けられていて、建物の外からでも本尊を見ることができるようになっています。中堂の屋根にある鳳凰はレプリカで、国宝でもある実物は、取り外して大切に保管されています。本尊を安置する須弥壇は、飾金具や螺鈿で装飾されていて、扉や壁は極菜食の絵画で彩られ、天井や柱に至るまで彩色文様が施されていました。舞を舞う供養菩薩の数多くの浮き彫りが長押の上の壁にあり、本尊の頭上には、緻密な透かし彫りの天蓋が吊られていました。現在では色もあせ、壁画は傷みも激しくなってしまっていますが、当時を思うと、それは豪華で華美なものだったと考えられます。10円硬貨に描かれているのは、この鳳凰堂で、屋根の上の鳳凰は、一円札にも描かれています。鳳凰堂を阿字池の対岸から見ると、池に鳳凰堂が映し出され、とても幻想的な姿を見せてくれます。
浄土式庭園で、中島に鳳凰堂が立つ阿字池を中心にしています。1,990年からの発掘調査で平安時代に造られた州浜があったことがわかり、平等院創建当初の姿に復元されました。鳳凰堂への入道も、小橋を渡る創建時の形式に復元されています。
観音堂は、境内の北側にあり、表門を入って左側にあります。本尊は平安時代後期に作られた十一面観音ですが、境内にある博物館、鳳凰館に移されています。現在の建物は、創建当時の本堂跡に、鎌倉時代に再建されたものだと言われています。