HOME
Link
Sitemap
privacy Policy
古代
飛鳥・奈良時代
平安時代
鎌倉時代
室町時代
戦国時代
安土桃山時代
江戸時代
明治時代
大正
昭和時代
HOME>>平安時代>>文学

文学

平安時代には、平安文学として日本の歴史に残る文学が、数多く書かれています。教科書にも載っている文学も数多く、『春はあけぼの…』の一説を暗記した人も多いのではないでしょうか。自分もそんな一人でした。

枕草子

枕草子は平安時代の女流作家、清少納言によって書かれた随筆です。枕草紙、枕冊子、枕双紙、春曙抄とも表記される場合があります。平安時代末期から、鎌倉時代にかけての作家、鴨長明の『方丈記』、鎌倉時代の作家、吉田兼好の『徒然草』と並び、日本三大随筆と呼ばれています。996年頃、左中将・源経房が清少納言の家から持ち出して広めましたが、その後も絶えず加筆されたため、写本などでも脱落している箇所がいくつもあります。

清少納言

平安時代の女流作家で、源氏物語を書いた紫式部と比べられることも多く、ライバルだったとされることもありますが、実際には面識はなかったようです。紫式部が清少納言のことを今で言う悪口を書き記しているものはありますが、清少納言は相手にしていなかったようです。古今和歌集の代表的な歌人である、清原深養父を曾祖父に持ちます。本名は清原諾子(なぎこ)という説がありますが。諾子に関しては信憑性がありません。清少納言の名は、『清』は清原の姓から、『少納言』は親族にこの役職の人がいたと思われます。一条天皇の妃、中宮貞子の指摘な女房(世話人のようなもの)に使えるとき、本名とは別の名前で女房を呼ぶ習慣があるため、この『清少納言』という名前を使ったと考えられます。

古今和歌集

後醍醐天皇の勅命で作られた、勅撰和歌集で、国家事業として和歌集を編むという伝統を確立したのが『古今和歌集』です。紀貫之らによって20巻で構成され、歌の数は全部で1,111首にもなります。20巻の内容は、春(上下巻)、夏・秋(上下巻)、冬・賀・離別・き旅・物名・恋(1~5巻)、哀傷・雑・雑体・大歌所御歌に分類されています。平安中期の国風文化の確立に大きく貢献し、貴族達の間では、古今和歌集を暗唱することが教養とみなされていました。作風は繊細で優美なことから、女性的とも言われていて、艶めかしい印象を持ちます。技法も巧みになり、掛詞や縁語が多く使われました。だからと言って、理解しがたい表現ではありません。

土佐日記

土佐日記は、古今和歌集にも携わった紀貫之によるもので、土佐の国から京に戻るまでの間に起きた出来事や、自分なりの思いなどを書いた日記です。紀貫之は、土佐の国で国司をしていて、任期満了で京に戻るまでの55日間の紀行を、当時、男性は漢文で書くのが当たり前の時代でしたが、作者が女性であるように装って、平かなで綴ったものです。様々な内容で書かれていますが、土佐でなくした愛娘を思う心情が中心になっています。土佐日記には、和歌も57首含まれています。

紀貫之

紀貫之は歌人でもあり、随筆家、三十六歌仙の一人でもあり、古今和歌集の編纂にも携わっていました。『土佐日記』は日本で始めての平かなによる散文で、その後の随筆や女流文学の発達に多大な影響を与えました。小倉百人一首にも紀貫之の和歌が収録されています。

『人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける』

伊勢物語

伊勢物語は、平安初期の歌物語で、在五が物語り、在五中将物語、在五中将の日記とも呼ばれています。作者は不明で、様々な説がありますが、分かっていません。数行程度の短章段の連鎖からなり、読みやすいことから大変親しまれました。在原業平の和歌を多く含み、業平の近親や知り合いが登場しますが、主人公が業平と呼ばれることはありません。紫式部は、源氏物語の中で伊勢物語を古臭いと記述していますが、作品中のどの部分がそう感じさせるのか、様々な説が出ていますが、決着はつかないままになっています。