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禅宗

日本の長い歴史の中で、神道から仏教が広く浸透するようになります。仏教は数多くの宗派があり、禅宗が室町文化に大きく影響するようになります。禅は達磨がインドから中国に伝えて成立したと言われている仏教の一派です。教義を説くことよりも、坐禅の修行と悟りを強調している宗派です。室町時代に禅宗は武家層に広まり、禅宗の五山が決められ、臨済宗は巻く腑に保護されるようになります。室町時代初期には、禅宗と旧仏教勢力の天台宗が対立し、幕府においても政治問題にまでなっています。

日本の禅宗

禅宗は、鎌倉時代以降、武士や庶民に広まりをみせ、各地に禅宗の寺院が建立されるようになり、室町幕府になると更にその勢力を広めていきます。

臨済宗

日本における臨済宗の開祖は栄西です。禅語録として伝えられる祖師たちの対話の判例を一則、二則と言います。その対話を知ることにより、そこから悟りを得ようとします。臨済宗の中で最大なのが妙心寺派になります。

曹洞宗

日本の曹洞宗は道元が開祖になります。臨済宗が幕府に支持され、政治や文化に重んじられたのに対し、曹洞宗は地方の武家や下級武士、一般民衆に広まりを見せました。ただひたすらに、坐禅から悟りを得ようとする宗派です。

黄檗宗(おうばくしゅう)

日本での黄檗宗の開祖は、隠元になります。当初、正統派の臨在禅を伝えると言う意味で、『臨在正宗』や『臨在禅宗黄檗派』と名乗っていました。『臨在真宗』を名乗ろうとしましたが、幕府から許可がおりませんでした。禅と念仏を一体化した念仏禅が特徴で、楽器を使う度胸の梵唄が知られています。

普化宗

普化宗は臨済宗の一派でもあり、普化を開祖としています。神秘的な逸話の多い僧で、尺八を吹きながら旅をする虚無僧としても有名でした。のちの江戸幕府とのつながりが強かったために、明治時代に入ってからは明治政府によって解体され、失われてしまった宗派です。現在は臨済宗に編入された形になっています。

禅宗の五山

足利尊氏

禅宗は室町時代に広まりを見せ、禅宗の五山が武家の保護を受けて定められ、仏教を通じて武家文化と貴族文化が融合し、禅宗が室町文化に強く影響します。鎌倉幕府によっても五山制度はありましたが、室町幕府を開いた足利尊氏が自ら建立した天竜寺を、五山に加えることを望みました。これにより、1341年、朝廷は、五山の決定を足利尊氏に一任するとの院宣を出しました。

五山遍歴

五山の決定を一任された足利尊氏は、第一位に南禅寺・建長寺、第二位に円覚寺・天竜寺、第三位に鎌倉の寿福寺、第四位に京都の建仁寺、第五位に京都の東福寺、次席として浄智寺を選定しました。1,358年に2代将軍足利義詮がこれを改訂し、第五位に浄智寺を昇格し、浄妙寺、万寿寺を五位に加え、京都・鎌倉から各五寺ずつを五山としました。3代将軍足利義満の時代には、管領の細川頼之の要望で臨川寺が五山に加えられますが、頼之が失脚すると共に五山からはずされました。足利将軍家の菩提寺として相国寺が建立されると、五山制度の大改革が行われ、『五山の上』として南禅寺を禅林全ての最高位とする代わりに五山に相国寺を入れ、更には『京都五山』と『鎌倉五山』の完全に格式を分割して固定しました。これは現在までも至っています。

禅宗が世界へ

インドから中国に渡って成立した禅宗は、近年になって日本から世界へと広まりました。インドや中国の禅よりも、日本の禅が世界に知られています。20世紀にアメリカやヨーロッパに紹介された禅は、曹洞宗の弟子丸秦仙という僧がヨーロッパで普及活動をし、21世紀になると、臨済宗、曹洞宗ともにアメリカ、ヨーロッパに寺院を構えるようになりました。

室町時代