古代エジプトとピラミッドの関係
古代のエジプトの人々は、ピラミッドのことを「メル」「ムル」と呼んでいたそうです。どんな意味だと思いますか? 「昇る」という意味があります。古代エジプト人は、太陽信仰があったことから、「太陽へ昇る階段」としてピラミッドを崇めたのです。
ヒエログリフ
古代エジプト王朝が始まる頃、ヒエログリフが生まれました。ヒエログリフとは聖刻文字のことです。
現在私たちが5000年以上も前の古代のエジプトのことを知ることができるのは、このヒエログリフが存在していたお陰です。古代エジプトで最も古い文字とされています。様々なものをかたどった象形文字で、日本にも太古の昔には似たような象形文字が存在していましたね。
この文字の解読に14年の歳月をかけてシャンポリオンという人物が1822年に解読に成功しました。壁画と一緒に書かれたヒエログリフを解読し、当時の様子を伺い知ることができるのです。
カルトゥーシュ
ヒエログリフを使い、ファラオの名前を枠で囲った文字です。ヒエログリフで書かれた文字を取り囲むのには、王の名前を囲って保護するという意味が込められています。囲みはロープを表わしていて、結び目を表わす縦の線の反対から読み始めます。
こうして王の名前を囲むようになったのは、第4王朝のスネフェルからと言われています。このカルトゥーシュがピラミッドの壁に描かれていることから、誰のピラミッドかを判断することが出来ています。
古代エジプト文明
古代エジプト文明は統一王朝が始まってから、クレオパトラ7世までのことをいいます。日本でいうと縄文時代のことですから、我が国の文明はとても遅れていたと言えます。
古代エジプトは30王朝で国を統一していました。その歴史の中でピラミッドを造り、彫像を残し、巨大な神殿が造られました。エジプトが王朝時代に終止符を打ち、外国の支配下となる頃、ようやく日本は弥生時代へと入っていくのです。
緻密な計算のもとで作られたピラミッドですが、それだけの知識と技術をもった古代エジプト人と、日本の縄文時代、弥生時代を比べると、文明の違いは歴然としています。
ナイル川のデルタ地帯に古代エジプト文明を発展させてきたエジプト人達。ピラミッドをはじめ、ヒエログリフなどで世界に知られ、高度な文明を発達させてきました。
紀元前525年に外国に支配されるまでの3000年間、古代エジプトは繁栄を極めてきたのです。この中で、古王国時代と呼ばれる時代に、初めてのピラミッド、階段ピラミッドが作られます。これをきっかけとして、エジプトには次々とピラミッドが作られ続けていきます。
主要ファラオ
王朝時代を築いてきた数多くのファラオ達。王朝後期にはクレオパトラに代表される女性ファラオも出現しています。代表的なファラオを紹介しましょう。
ネメス王(ナルメル王)
初期の王朝時代、紀元前3100年頃のファラオです。上エジプトの出で、都をメンフィスに築きました。上・下エジプトの統一のファラオです。
クフ王
紀元前2550年頃の古王国時代のファラオです。ギザの大ピラミッドを作ったとして有名です。しかし、クフ王に関する資料は少なく、あまり詳しいことは分かっていませんが、大ピラミッドを作れるほどの権力と財力をも居合わせていたのでしょう。
ハトシェプスト女王
初期の新王国時代で紀元前1500年頃の女性ファラオです。トトメス3世の義母でもあり、ハトホル女神という雌牛の女神になぞらえられていますが、その勝ち気な正確さゆえ、義理の息子であるトトメス3世はハトシェプスト女王がなきあと、遺跡から女王の姿を削り取ってしまったほどです。
アクエンアテン王
アマルナ時代のファラオで、元の名前をアメンヘテプ4世といいます。外国からの新しい芸術を取り入れて、現実的な描写の美術が盛んになりました。
トゥトアンクアメン王(ツタンカーメン王)
アマルナ時代のファラオで、1922年に王家の谷で、ツタンカーメンの墓が手つかずの状態で発見されています。黄金のマスクで有名なファラオで、エジプトといえばピラミッドとならんで有名な王かもしれませんね。まだ解明されていないことが数多くあり、謎だらけのファラオでもあります。
ラムセス2世
初期の新王国時代のファラオです。本当は「ラー・メス・シス」という、太陽神ラーの子の誕生という意味の名前を持っています。67年間も即位しており、エジプト国内に数多くの建造物を残しました。愛する王妃のために、王家の谷を作ったファラオとしても知られています。
クレオパトラ7世
絶世の美女と現在でも謳われているのは、クレオパトラ7世のことです。プトレマイオス朝時代、最後の王朝ファラオでもあります。かなりの才女だったらしく、ファラオとして権勢をふるうものの、最後は悲しい結末となったのです。
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