カフラー王のピラミッド
ギザ三大ピラミッドの一つとして挙げられるカフラー王のピラミッドですが、三つ並んだピラミッドのうち、中央に鎮座しているのがカフラー王のものです。
並んでいるのを見ると一番大きく見えますが、建てられた地面の高さによるもので、一番大きいのはクフ王のものになります。
カフラー王
カフラー王はクフ王の王位継承権をもたない息子でした。王位継承権を持つ長男が早くに逝き、ジェドエフラーという次男が王位を継承して3~4年即位していました。その後カフラーは王として25~26年、即位することになります。
ジェドフラーのピラミッドは早くに逝ったせいもあり、ほとんど作られることのない未完成に終わっています。カフラー王は、父クフ王と同じく、統治者として世を治める力を持っていたため、兄ジェドフラーと諍(いさか)いがあったのかもしれません。事実は闇の中です。
カフラー王のピラミッドは、父クフ王のピラミッドの隣に作られました。これは、クフ王がまだ生存中にヘムオンという設計士が施工に関わり、最初にできたのがクフ王のピラミットです。
隣に次のピラミットを作る前にクフ王の時代からカフラー王の時代へと移ったために、クフ王の隣のピラミッドを自分のものとしたと言われています。カフラー王が王位をとっていたのが、クフ王と同じくらいの長さで、大きさもさほど変わらないピラミッドを作ったということで、第4王朝時代の王として、クフとカフラーはその存在が、揺るぎない王であったと考えられています。
ピラミッドの大きさ
カフラー王のピラミッドの高さは約143m、基底の一辺は215mあります。一部頂上部分が崩れていますので、作られた当初はもう少し高さがあったと思われます。
作られたのは紀元前2530年頃でクフ王のピラミッドよりも高い場所に建てられ、58.8度の角度があるため、クフ王のものよりも見かけが大きく見えます。実際はクフ王のものの方が、大きさがあります。
水を流して水平を測るという方法をとり、現在でもその溝の跡が残っています。カフラー王のピラミッドに限らず、このギザの三大ピラミッドと呼ばれるピラミッドの上部には、化粧石が残っています。さぞかしきれいなものだったことでしょう。
全面を覆っていたはずの化粧石ですが、現在では何故上部にしか残されていないのでしょうか。驚くべきことに、剥がされてカイロの市街の舗装に使われたそうです。現在では考えられないことですね。
内部構造
第1ピラミッドの内部構造が複雑なのに対して、第2ピラミッドであるカフラー王のピラミットには内部構造というものがありません。
第1ピラミッドの「王の玄室」がピラミッドの中心部の、大回廊を上りきった高い位置にあります。一方、第2ピラミッドであるカフラー王のものは、入り口から狭い通路を降りていき、地表と同じ高さの位置、ピラミッドの中心部に「王の玄室」があります。
内部には壁への文字や装飾類は一切ありません。小さな長方形の部屋ですが、天井は高く、山型をしています。第1ピラミッドよりもシンプルな作りになっています。
玄室の隅には、花崗岩で作って床に固定された石棺があります。第1ピラミッドの石棺よりも大きくフタもついていますが、発見当時は第1ピラミッド同様、中には何も入っていませんでした。カフラー王のピラミッドは玄室だけの建造物といえるでしょう。
ピラミッド複合体
ピラミッド複合体となる、ピラミッド、葬祭殿、ピラミッドへの参道や河岸神殿、スフィンクス神殿とスフィンクス像、これら全てが第2ピラミッドには残っています。これら全てを現在でも見ることが出来るのはここだけでしょう。
河岸神殿は、壁には美しい装飾がなされていたのが伺えます。カフラー王の像が23体並んでいたとされています。そのうちの9体が1860年に神殿の地下から発見されました。ほぞとほぞ穴で硬い花崗岩を隙間無く組み合わせて作られています。
神殿の北側にスフィンクス神殿とスフィンクス像があります。スフィンクスについては、別の項で説明していますので、ここでは省かせていただきます。
|