ピラミッドには謎や疑問が多くあります。どうやって作られたのか、数学的な知識があったのか、天文学的な知識があったのか、様々な疑問がわいてきます。様々な研究家達が謎解きに挑戦していますが真実が見えてくるのはいつなのでしょうか。
ピラミッドQ&Aピラミッドには謎や疑問が多くあります。どうやって作られたのか、数学的な知識があったのか、天文学的な知識があったのか、様々な疑問がわいてきます。様々な研究家達が謎解きに挑戦していますが真実が見えてくるのはいつなのでしょうか。 [ スポンサードリンク ]
Q&A 一覧Q:石で作られているのにどうやってピラミッド内に空間や回廊を造ったのでしょうか。
ピラミッドの内部構造Q:石で作られているのにどうやってピラミッド内に空間や回廊を造ったのでしょうか。 A:石を積み上げて後から掘ったのではなく、指揮をとる人間が中に入って作っていました。あとから掘られているものは、盗掘にあったときにあけられたものです。
ピラミッドの内部空間Q:現在までの調査で、ピラミッドの内部が全てわかっている? A:クフ王のピラミッドなどは、大回廊や王の間、女王の間、重量軽減の間などがありますが、その他にもピラミッドの内部を破壊しなければ進むことのできない、謎の通路も発見されています。 その通路の先になにがあるのかはまだわかっていません。恐らく、現在発見されている空間の他にもまだ部家としての空間があることは明らかですが、未だ解明されていません。
ピラミッドの盗掘品Q:ピラミッドから盗掘された宝石などの品々はどうなった? A:古代では、盗掘された宝石などは再利用されていたようです。宝石をはがしてアクセサリーに作り替えたりし、更には売られたりしていました。中世以降はヨーロッパなどにも売られ、巡り巡って大英博物館やルーブル博物館などに保管されています。 近年になり、それらがエジプト政府に少しずつではありますが、返還されるようになりました。故郷のエジプトにそれら全てが帰って来るのはいつになるのでしょうか。
ピラミッド建造の衰退Q:何故ピラミッドは作られなくなったのでしょうか。 A:国家の経済的理由と、直系で王朝を統一してきたことに終止符が打たれたこと、時代の流れによってピラミッドから神殿造りへと移り変わっていったのが理由でしょう。 ピラミッドが作られなくなってから、数多くの巨大神殿が造られています。時代の流れとでもいいましょうか。
ピラミッドの位置Q:ナイル川の西岸に偏って作られているピラミッド。どうして西岸なの? A:ピラミッドが作られているのは確かに、見事というくらいナイル川の西岸に偏っています。ピラミッドばかりではなく、王家の谷もナイル川西岸部にあります。古代エジプト人はナイル川を挟んで西側があの世、東側が現世と考えていたようです。 太陽信仰があったので、太陽が昇り、そして沈んでいく方向に関係があるのかもしれません。そのため西岸にピラミッドが集結していると考えられています。また、ピラミッドを作るにあたり、船で切り出した石を運ぶ際に、岸の形が石を降ろすのに都合がいい地理をしていたからとする説もあります。
ピラミッドの建造に関わった人々Q:ピラミッドの建造は奴隷が使われていたとされていたけれど、実は違ったって本当? A:これまでは、奴隷が鞭打たれて建造に関わっていたとされていましたが、どうやら違うことがわかってきました。ピラミッド建造に関わる労働者の村があり、その発掘によって様々なことが分かってきています。 地方から働きにきていた者の存在、また、そういう人々が地元女性と結婚していたこと、食事や飲み物が振る舞われていた事実、けがをした者は外科手術まで受けさせてもらっていたようです。発掘された出勤簿を見ると、自分の意志で働いていたことがわかっています。
労働者の数Q:ピラミッドの建造には、どのくらいの人数の労働者が関わっていたのか。また、どうやって作業進行をしていたのか。 A:作業は完全に分業だったことが明らかになっています。石を切り出す者、石を成形する者、石を引く者、積み上げる者。分業して効率よく作業していたようです。 関わった人数ですが、20万人と言われています。この人数はあくまでも一説であり、確証はありません。 [ スポンサードリンク ]
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