クフ王のピラミッド
古代エジプトのファラオの中で、ツタンカーメンと並んで有名なのがクフ王です。
エジプトで、ギザの三大ピラミッドと呼ばれるピラミッドで、一番大きなものがクフ王の作ったピラミッドになります。
ギザの第1ピラミッド
ギザの三大ピラミッドの中で、第1ピラミッドと呼ばれるものがクフ王のピラミッドです。形は真正ピラミッドで美しい形をしています。この形でピラミッドを作ったのはクフ王が最初です。
ギザのピラミットだけではなく、古代のエジプト史上を見ても、最大級のピラミッドになります。
建造された当初の大きさは高さ147m、一辺の長さは230m、頂点までの勾配は51度50分でした。後に、周りを覆っていた化粧石が盗まれてしまったために、10mほど、高さが低くなってしまいました。完成当初は全部の面が花崗岩の化粧石で隅々まで覆われ、今とは違い、美しく光り輝くものだったそうです。
第1ピラミッドがクフ王のものであると確認されたのは、1839年、ハワード・ヴァイズというイギリス人によってでした。「重量軽減の間」に、古代エジプト文字に囲まれたクフ王の名前を発見したのです。
クフ王のピラミッド建造
ピラミッドの建造を指揮したのは、クフ王の宰相であったヘムオンであっただろうと言われています。クフ王のピラミットの建造には20年の年月を要しました。
使われた石は、ギザの周辺で、たやすく手に入る、石の中では軽くて加工のしやすい石灰岩が使われました。ピラミッドの上に行くに従って、小さな石が使われています。230万個もの石が使われ、重要部分である「王の間」などの内部にはアスワンから運ばれてきた花崗岩が使われました。
アケト・クフ
ピラミッドにはそれぞれに名前が付けられています。第1ピラミッドであるクフ王のピラミッドは、「アケト・クフ」と名付けられています。「クフの地平線」という意味になります。
この第1ピラミッドの観光用の入り口になっているところは、盗掘用に830年に開けられたものです。その際、内部の通路に偶然ぶつかり、王の間などの空間が見つけられました。
本当の入り口は地上から17m、ピラミッドの中心よりも東へ7.3mのところにあり、外見からは分からないように塞がれていました。盗掘に入ったアル・マムーンは、ピラミッド内部では、ミイラもお宝も何一つ発見できませんでした。
太陽の船
クフ王のピラミッドの隣には、太陽の船博物館があります。ピラミッドの南側に埋められていた船で、ピラミッドにとって重要な意味を持つものだと考えられています。
王は没後、太陽神に姿を変えて船に乗り、大空を旅すると考えられていました。大空を旅した太陽神は、朝になるとピラミッドへと戻り、王妃の間の石棺の中で休息をとり、また夜になると王の間の石棺でパワーを漲らせて再び大空へと船に乗って飛び立っていくと考えられているのです。
発掘されたのは太陽の船だけですが、対になっているもう一艘も埋められているのが確認されていますが、発掘はされていません。
第1ピラミットの位置
クフ王の第1ピラミットは、ギザの三大ピラミッドの中でも一番古くて大きいものです。地図上での場所は、スフィンクス側から見て一番手前のピラミッドです。現地に赴けば大きさから一目で分かります。
ピラミッドの画像だけを見ると、見渡す限り砂漠のイメージがありますが、地図や航空写真を見ると、市街地と目と鼻の先になっていて驚かされます。
クフ王
世界最大級のピラミッドを築いたクフ王。ギザの三大ピラミッドのカフラーの父であり、メンカウラーの祖父にもあたります。
紀元前2589年から紀元前2566年に王として在位していました。「クヌム神に護られしもの」という意味を持つ、「クヌム・クフ・ウイ」からその名前がきています。
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