ピラミッドの形態
ピラミッドと言って思い浮かべるのは、ギザの三大ピラミッドにも代表されるように、三角形の真正ピラミッドを頭に描いてしまいますね。ピラミッドの形はそれだけではありません。
階段ピラミッド
階段ピラミッドは、紀元前2650年頃の第3王朝時代にはじめて作られた形で、ピラミッドのはじまりともされています。サッカラという地区に、ジョセル王が作ったのがそのはじまりです。
日干し煉瓦で作るマスタバ型式を取っていましたが、後にそれらを階段のように積み上げて、大きな建造物となったものです。階段形態ができあがっても、あとから拡張が行われたりしました。
サッカラの階段ピラミッド
第3王朝の2代目ファラオだったジェセル王によって作られた階段ピラミッドですが、後代のピラミッドに大きな影響を与えるものとなりました。
ジェセル王の階段ピラミッドは、高さ62m、底辺が125×109mという長方形をしています。最初から階段型式にするように作られていたわけではなく、当初は高さ10m、一辺の長さが63mの巨大マスタバとして作られる予定でした。建設を手がけたジェセル王の重臣らは、東に向けてどんどん拡張を繰り返した結果、階段状のピラミッドとして完成したのです。
地下28mには玄室や、それらを取り巻く数多くの部家や回廊が作られています。この階段ピラミッドの建設をきっかけとして、後の王達も次々とピラミッドを作っていったのです。
屈折ピラミッド
屈折ピラミッドがはじめて作られたのは、第4王朝の初代のファラオ、スネフル王によって、紀元前2500年頃、ダハシュールに作られました。ピラミッドの途中から傾斜が変わっているのが特徴です。
スネフル王の屈折ピラミッド
この屈折ピラミットの高さは作られた当時で97.26m、一辺が188.5m傾斜は地上から44.9mの時点で54度14分、それより上部になると42度59分で作られています。材質は主に石灰岩が使われ、総重量は359万tにも及びます。
角度に変化を持たせた理由として、様々な説が挙げられます。
一つ目の説は
屈折ピラミッドを作る前に試みた四角錐のピラミッドが崩壊したために、崩壊を防止するために途中から傾斜を緩やかにしたとするものです。
二つ目の説は、建造中に王が病に倒れたために、目標の高さを下げて完成を急いだとする説。
最後の説は、最初からこの形が完成型として上エジプト、下エジプトを融合させたことを表わしているとする説です。
内部を見ると、入り口も玄室も二つあり、二つのものを一つに融合させたとする説にはうなずけるものがあるのです。
赤のピラミッド
同じくスネフル王が築いたピラミッドの中に、赤のピラミッドと呼ばれるものがあります。作られた場所も、屈折ピラミッドと同じダハシュールになります。赤みがかった石で作られているためにこの名前で呼ばれています。
後のクフ王らの巨大ピラミッドの元となるデザインのピラミッドで、完全な三角錐をしています。高さは104.4m、218.5×221.5m、傾斜は43度36分です。総重量は453万tになります。このピラミッドは十分な調査がなされておらず、まだ謎の多いピラミッドです。
真正ピラミッド
メイドゥムにある崩れピラミッドが初めての四角錐のピラミッドとされています。完成型としては、ギザの三大ピラミッドが有名です。美しい形で大きさもあり、見るものを魅了し、且つ圧倒するピラミッドと言えるでしょう。
クフ王の真正ピラミッドは最大級の大きさを誇り、長さと高さの比は黄金比で作られています。この有名な三大ピラミッドは、オリオン座を模したものとされ、三つのピラミッドがオリオン座の三つの星に当てはめられているとされています。
形態の移り変わり
こうして見てみると、ピラミッドの形は最初から私たちが知っているような四角錐ではなかったことがわかります。長い歴史の中で徐々にその形を変えながら、ギザの三大ピラミッドのような美しいピラミットが作り上げられていったのです。
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