マリー・アントワネット
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コンシェルジュリー

ルイ16世の刑が執行された後、民衆は国王一家の存在を忘れたかのように見えました。フランスの新しい指導者にとって、国王一家は諸外国との取引のための人質のようなもので、重要な存在でもあり、手厚く保護されていました。マリー・アントワネットも、家族を残して自分だけ助かることを望んでいませんでした。

7月3日、王党派がルイ・シャルルを強奪して、ルイ17世として即位させようとしているとの噂が立ち、マリー・アントワネットとシャルルは引き離されることになります。この日から、アントワネットは喪服を脱ぐことをせず、口もきかなくなり、部屋の中を亡霊のようにさまようようになります。連合軍が快進撃を続ける中、議会は革命の敵を一掃する目的で、8月2日、マリー・アントワネットをコンシェルジュリーに移すことになりました。

囚人番号280

コンシェルジュリー

コンシェルジュリーは、もともとフィリップ4世の宮殿でした。14世紀後半から牢獄として使われ始め、フランス革命の際には、多くの王族や貴族が収容されました。ルイ15世の寵姫デュ・バリー夫人もここに収容され、断頭台に送られました。この牢獄に入ると、生きて出て来る事はできないと言われていた牢獄です。そこにマリー・アントワネットは子供達を引き離されて移されました。

フェルセン伯爵をはじめ、アントワネットを救い出そうとする動きを牽制するためでした。コンシェルジュリーの収監名簿に、監獄所長リシャールは『フランスに対して陰謀を企てた罪』と書き、アントワネットに与えられた囚人番号は280でした。少なくともタンプル塔では、住むのは王家の人間だと言うことが配慮されていました。

しかし、コンシェルジュリーの独房は、備品も設備も囚人用のものだったので、住み心地は格段に悪くなりました。反対に、牢獄全体の雰囲気はタンプル塔よりもよく、監視もそれほど厳しいものではありませんでした。

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好意的な監視兵

囚人用の設備でタンプル塔よりも劣悪な環境にも関わらず、コンシェルジュリーの方が雰囲気良く感じられたのには訳がありました。タンプル塔で監視にあたっていたのは、活動家の中からパリ市が選んだ者たちで、反王政の人間達でした。コンシェルジュリーの監視は、フランス革命前に任命されている者たちばかりですので、王家を敬う気持ちも持ち合わせており、アントワネットに対しても、それなりに敬意を表して接していたのです。

監獄の中の人々

独房内には2人の監視兵がいました。この2人はパリ市が任命した者でしたが、タンプル塔にいた警備兵よりも好意的で、定期的に花を持ってきてくれ、革命に思誠を誓うことを拒否した僧侶と会うことも黙認してくれました。この僧侶は、コンシェルジュリーに収監されていた僧侶と思われます。

身の回りの世話をする女性が2人つけられましたし、この女性はポケットマネーでアントワネットに小さな鏡をプレゼントしてくれたり、自分の部屋から小さな椅子も持ってきてくれました。

監視責任者のミショニは視察に来るたびに、タンプル塔の子供達の様子や、外の出来事を教えてくれ、リシャール所長の夫人も色々と便宜を図ってくれました。他の囚人とは違う、上等なシーツを用意してくれたり、特別な料理も用意してくれました。タンプル塔に比べ、マリー・アントワネットに対して好意的な者が多かったのです。

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コンシェルジュリーでの生活

コンシェルジュリーのマリー・アントワネットの独房

いくら好意的な者が周りにいても、アントワネットの行動は制限されていました。朝は7時に起床し、就寝は22時。朝食はパンにコーヒーかココアの軽いもので、髪を整えて2着しかない、黒か白の服を着ると、何もすることがなくなってしまうのです。

普通の囚人は、中庭で散歩やおしゃべりができますが、アントワネットは独房から出ることを許されていませんでした。独房内をウロウロしたり、散歩をする囚人を眺めて気晴らしをしたりしました。本は許可されていましたが、編み物と刺繍は禁止されていました。針でケガをしてはいけないという表向きの理由がありましたが、本音は自分で命を絶たれては困るということだったのでしょう。

壁布から抜き取った糸を紐にして編んだりして時間つぶしをしていました。アントワネットの独房での健康状態は極めて悪く、慢性的な出血にも悩まされていました。美貌の面影はなく、見違えるほど衰えてしまい、見る者が胸を痛めるほどでした。

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カーネーション事件

マリー・アントワネットのもとには、いつも見知らぬ面会人がやってきました。守衛にお金を払うと、誰でもアントワネットと面会ができたのです。どれも見知らぬ人なので、アントワネットはいつも無視を決め込んでいました。あるとき、監視責任者のミショニが連れてきた面会人は見覚えがありました。

聖ルイ騎士団のルージュヴィルというこの人物は、民衆がテュイルリー宮殿に乱入したところを助けてくれた人物でした。彼は初対面を装っていましたが、ボタンホールにさしたカーネーションを抜き取ると、床に捨てて目配せをしました。

あとで拾ってみると、花の中には手紙が入っていて、救出の計画があること、しかるべき味方がいること、ミショニもその1人であること、買収用のお金が用意されていることなどが書かれていました。2日後、再びルージュヴィルがやってきて、買収用の資金、金貨400万ルイ、紙幣1万リーブルを渡し、脱出は2日後であることを告げられました。

脱出の失敗

アントワネットは、監視兵を買収することに成功していました。決行の夜、ミショニとルージュヴィルが独房に来て、マリー・アントワネットをタンプル塔に移すことになったと牢番や監視兵に告げました。監視兵に付き添われ、いくつもの扉をくぐり、最後の扉を潜り抜けると、そこには逃走用の馬車が用意されているというときに、監視兵がアントワネットを外に出すことに反対しだし、騒ぎになって計画が失敗に終わりました。

この計画が露見してしまい、関係者に対する尋問を保安委員会が始めました。ルージュヴィルはうまく逃走することができたのですが、ミショニは逮捕され、翌年6月に処刑されることとなります。この事件をきかっけに、それまでマリー・アントワネットに対する裁判に積極的ではなかった世の中も、一変して裁判への動きが強くなりました。

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