奈良・鎌倉 大仏百科
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奈良・鎌倉 大仏百科 > 大仏の雑学 > 平城京遷都は大仏のせい?

平城京遷都は大仏のせい?

平城京が長岡京に遷都したきっかけ、それは奈良の大仏に原因があると言われています。当初の原因としては奈良の大仏を造るときの銅が原因ではないかと言われていましたが、近年になって違う説が挙げられるようになりました。

大仏に使われた水銀が原因?

東大寺大仏殿これまで言われてきた説は、大仏の銅を精錬するときに流れ出た液が染みこんで、近くの若草山などに木が生えないと言われてきました。これは50年ほど前の説になります。

近年言われている説は、水銀が原因ではないかと言われはじめています。大仏を造っている時期には疫病が蔓延し、大仏が完成するとそれも治まり、大仏様のお陰だと喜んだと言われていますが、当の大仏が原因ではないかと言われているのです。

奈良の大仏と水銀

奈良の大仏は、当初金メッキが施されていて光り輝いていました。この金メッキを施すのに大量の水銀が使われていたのです。金と水銀を合わせて粘土状にしたものを大仏に塗り、炭火で熱して水銀を蒸発させることで金だけが残ります。このような方法で金メッキがされました。蒸発して大気に放出された水銀は、平城京はもとより奈良の街にも降り注ぎ、呼吸することで吸い込んでしまった人々はどうなるのでしょうか。

祟りとされた中毒症状

現在のように医学の発達していない時代に、水銀による中毒症状が多発して、恐らくパニック状態に近かったのではないでしょうか。蒸発した水銀で大気が汚染され、気管支炎や肺炎などの呼吸器の異常を起こし、腎臓への影響や倦怠感、手が震えるなども引き起こしました。

運動障害も起り、これを当時の人々は祟りと恐れたのです。奈良の都でのこうした出来事から、平城京は長岡京に移されたという説です。もちろんこの他にも、もっともらしい説はあります。川がたびたび氾濫するためであるとか、うるさい僧の意見から逃れるためであるとか、天皇家内での派閥争いがあったためであるとか、様々な説があります。水銀説もあくまで「説」であり、真実は分かっていません。

奈良の大仏に使われた水銀の量

大仏に金メッキを施すために、大量の水銀が使われました。現在の単位に直すと50tもの水銀が使われたのです。これは現在あらゆる所に使われている水銀の量と比較すると、とんでもない量になります。これだけの水銀を熱して蒸発させるとなると、水銀中毒が蔓延しないほうがおかしいでしょう。

様々な不調を訴える人が急増して、何かの祟りだと恐れるのも無理もない話でしょう。やはり平城京遷都の一番の理由は、奈良の大仏の建造にあたって使われた、水銀が原因なのでしょうか。土中の水銀の含有量を調べるとすぐ分かるそうですが、いまだに調査は行われていません。

大仏に金メッキする作業で5年!?

これまで、大仏に金メッキを施すことだけしか挙げてきませんでしたが、この作業に何年かかったと思いますか? なんと5年もかかっているのです。50tもの水銀を金と混ぜてメッキ加工を施すのですから、すぐにできるものでもありません。この5年間の間、水銀が大気に蒸発して溶け込み続けていたと考えると、背筋が冷たくなりますね。

平城京の住人は、水銀でおかされた空気を吸い、野菜や魚、米を食べ、知らず知らずのうちに体内に水銀を取り込んでしまっていたのでしょう。神経や内臓がおかされて回復が難しい水銀。以前まで化粧品や薬などにも使われていましたが、今でこそ分かる水銀の怖さを知るはずもない平城京の人々は、大仏の完成に向けて多くの民衆と共に、一生懸命だったことでしょう。

例え平城京遷都の直接の原因が水銀でなかったとしても、都に水銀による影響があったことは言うまでもないことです。大仏を造ることによって、思いもよらない被害がでていたということです。

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