二条城では数多くの物が国宝や重要文化財に指定されています。二条城自体も、ユネスコの世界文化遺産に『古都京都の文化財』を構成する17のうちの歴史的建造物の一つとして、1994年12月に登録されています。徳川幕府の始まりと、終焉のときもこの二条城が舞台となりました。様々な歴史の中で、今世に伝わる歴史的価値のあるものも多く存在します。
二の丸御殿
国宝に指定されているのは、二の丸御殿です。第15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を発表し、徳川幕府に終止符がうたれ、慶喜が二条城を去った後は朝廷が二条城を接取し、1884年、明治17年には宮内省の所管になりました。
廃城令があったにも関わらず、二条城が破却されなかったのは宮内省の所管になって、名前も二条城から『二条離宮』とされたためでしょう。そのため、雷で消失した天守を除いて、ほとんど全部の建造物が残り、かつての将軍家の目をみはるばかりの御殿と、生活の様子を今に伝えているとのことで、二の丸御殿は1952年、昭和27年に、文化財保護法に基づいて国宝に指定されたのです。その内容は、遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院、白書院となっています。
二条城の面白いところは、国宝の二の丸御殿と、重要文化財に指定されている本丸御殿の趣が、全く違うところです。二の丸御殿が将軍家の生活を今に伝えるものだとすれば、本丸御殿は宮家のかつての生活を伝えていると言ってもいいのではないでしょうか。
旧桂宮邸を移築したものですので、趣が違うのも当たり前かもしれませんね。当時では珍しい2階建てというのも面白いところです。外観は2階建てなのですが、実は中2階があるので、厳密に言えば3階建てなのです。驚きですね。この中2階には、歴史に残る調度品や生活用品が保管されているのです。
本丸御殿
建造物の重要文化財として、本丸御殿、二の丸御殿の周囲の建造物、城門、櫓、土蔵、塀などがあります。
◆本丸御殿
本丸御殿全体が重要文化財になっています。玄関、御書院、御常御殿、台所及び、雁之間となっています。
◆二の丸御殿
二の丸御殿の唐門、築地、台所、御清所が重要文化財になっています。
◆城門
東大手門、北大手門、西門、櫓門、鳴子門、桃山門、北中仕切り門、南中仕切り門などが重要文化財になっています。開放されていない門、近寄って見る事のできない門もあります。
◆隅櫓
東南隅櫓、聖ないい隅櫓が重要文化財に指定されています。
◆土蔵(米蔵)
土蔵(二の丸御殿台所北)、北西土偶、南西土偶が文化財になっています。
◆東南隅櫓北方多門塀
唯一塀で重要文化財に指定されているものです。
二条城では、数多くの美術品も重要文化財に指定されています。国宝に指定されている二の丸御殿の中には、3000面を超える障壁画があり、その中の954面が絵画の重要文化財として、昭和57年に指定されました。
『築城400年記念 展示・収蔵館』では、二の丸御殿の障壁画を恒久的に保存していくために作られたものです。公開期間がそれぞれ限られていますので、調べてから行くといいでしょう。障壁画だけではなく、埋蔵文化財として、二条城か発掘された、かざり金具なども展示されています。
史跡とは、歴史的に重要な事件や施設のあった場所のことをいいます。二条城の外堀を囲む道路なども含めた二条城全域が、『旧二条離宮(二条城)』の名前で1939年、昭和14年11月30日に、史跡に指定されました。
名勝とは、景色のよいことで知られている土地のことで、国が文化財保護法で指定します。特別名勝は、その中でも特に価値が高いと認められたもので、国宝と同格の価値があります。この特別名勝に、1953年、昭和28年3月31日に、二の丸庭園が指定されています。