そろばんの起源は、メソポタミア南部のバビロニアであるという説と、中国であるという説があります。メソポタミア説をメインにそろばんの起源を紹介していきましょう。
メソポタミア説では、バビロニアで考え出された砂そろばんが起源だとされています。その昔、計算機もそろばんもない時代、狩をして生活をしていました。獲った鳥や獣を数えるのに、縄を結んで、その結び目の数を数えたりしていたのです。次第に、その数を足したり引いたり、計算することが必要とされるようになったのです。
世界中で計算するための手段や道具が考案されていきました。現在あるそろばんの起源となるものは、約4000年前のメソポタミアで考案されたものだったのです。この砂そろばんは、棒で砂に線を引き、その線の上に小石を並べて計算する方法でした。
中国での説では、商売の神として人々が崇めている三国志の武将、関羽という人物が作り出したと言われています。やはり計算をするために、メソポタミアでは小石を使っていた物を中国では木を使って串刺しにして計算していたのです。
余談ですが、中国で『スアンバン』と呼ばれていたものが、徐々に変わっていき『そろばん』と呼ばれるようになりました。メソポタミアと中国に伝わるそろばんの歴史を見ると、どうやらメソポタミアの方が、歴史が古いようです。
メソポタミアで誕生したそろばんが、シルクロードを経て中国に渡ったと言われています。分かっているのは、中国でそろばんが使われ始めたのが13世紀に入ってからだということです。
中国では長いこと、五玉が2個、一玉が5個のそろばんが使われてきましたが、これは中国の算盤を真似て作った物で、中国のそろばんの玉が丸いのもここからきています。
また、中国で発達していた尺貫法での十六進法を計算するうえで、五玉が2個、一玉が5個あった方が計算しやすかったためです。昭和30年以降になると国際的にメートル方が広まり、中国でも日本のような五玉が1個、一玉が4個のそろばんが徐々に普及してきています。
日本にそろばんが伝わったのは、今からおおよそ500年ほど前、室町時代の末期の頃でした。大阪と長崎、どちらに入ってきたのかは定かではありませんが、現在あるそろばんの形とは異なり、2個の五玉、5個の一玉というものでした。このそろばんが日本全国に広まり、日本独特の『和算』という数学が発達していったのです。
日本に入ってきた当初のそろばんは、現在のそろばんよりも玉の数が多いものでした。しかし、それまで2個あった五玉を1個にした方が、使い勝手がいいことに気づいたのです。こうして、100年ほど前に五玉を1個にしたそろばんが普及していくことになります。
丸い形の玉を現在のような形にしたり、使いやすいように変わっていくのです。昭和13年には小学4年生になると、そろばんが授業で取り入れられるようになりました。当時の文部省が児童用そろばんとして、五玉が1個、一玉が4個、定位点を4桁に区切ったそろばんを指定しました。