ダイヤモンドの歴史
人類が発見した世界で最も硬い物質、それがダイヤモンドです。しかし、考えてみるとダイヤモンドの組成とは炭。乱暴に言えば石炭なんかのお仲間な訳です。それなのに、どうしてそんなに硬くなったのでしょうか?ここでは、ダイヤモンドがどのように出来たか、また、人間がどのようにダイヤモンドを利用してきたかを話しましょう。
ダイヤモンドはどうして出来たのか
ものすごい大雑把な言い方をしてしまえば、ダイヤモンドは炭素の塊を高温の状態で激しく圧迫した結果できあがったものになります。ただし、地上ではそのような高温も圧力も存在していません。地下の地下でマグマの高熱と強力な圧力を受けて偶然に出来上がった鉱石の一つなのです。
こうして出来上がったダイヤモンドの中には、他の岩などと共に地殻変動のあおりを受けて地表近くに突出してきたものがあります。それが現在、我々が手に入れられるダイヤモンドということになります。
人類とダイヤモンドの出会い
それは、昔々のお話になりますが、インドの川には昔から飛びぬけて硬い石が含まれていました。これがダイヤモンドです。
しかし、硬いのはとにかくとして、原石のままのダイヤモンドには硬い以外の特徴が無かったのです。原石なので特に美しくもなく、川原に転がっているので珍しくも無い、いわばありふれたただの石だったわけです。
ダイヤモンドという言葉
聖書に曰く「アダマント(ダイヤモンドの語源)」という表記が登場しますが、おそらくはダイヤモンドではないものを指していたようです。はっきりと「ダイヤモンド」について触れられたのは八面体の結晶という表記をなされたもので、ローマ時代でした。
このとき初めてアダマントではなく、ディアマンテ(ダイアモンドのヨーロッパ読み)と呼ばれるようになったとされています。この当時の技術では、研磨も加工も難しく、結晶そのものの美しさ及び工業製品として使用されるにとどまっていました。
宝石としてのダイヤモンド
垣間見える結晶の美しさから、ダイヤモンドは宝石として認められはしましたが、その価値は低く抑えられていました。やがて、15世紀になってから、初めて「ダイヤはダイヤで磨けばいい」という方法がベルギーで考え出され、次第に宝石としての価値を持ち始めるようになったのです。
次第に研磨技術の向上と、カット方法の研究がなされるにつれダイヤモンドは宝石の中でも高い価値を持つに至りました。
ユダヤ人とダイヤモンド
こうして生産されるダイヤモンドの流通に欠かせない地が、イスラエルでした。この地に住むユダヤ人は流浪の民でもあり、持ち運びの便利な軽くて価値の高い宝石を珍重しました。
彼らはダイヤモンドの価値にいち早く気づき、ダイヤモンドの流通に大きな役割を果たしていくのです。現在でも、彼らが作り上げたデビアス社がダイヤモンドの流通の要になっているのです。デビアス社については後述します。
作られるダイヤモンド
それから長い年月が過ぎた20世紀、人間は人工のダイヤモンドの製造に成功しました。それまでもダイヤモンドを模した模造ダイヤというのはありましたが、そうではなく組成からして本物のダイヤを製造することに成功したのです。(と言っても、金属の触媒を合成時に必要とするため、多少の差はでますが)
この人工ダイヤ、当初は極小粒のものしか出来ずに、しかも天然ダイヤよりもはるかに高くついてしまうものでしたが、現在は本物より安く、しかも安定した品質のものを製造することが出来るようになりました。製造された人工ダイヤはすべて工業用ダイヤにまわされていて、工業用ダイヤのシェアの半分近くを人工ダイヤが占めています。
人工ダイヤを本物として売られる事は無いのか
今の技術をもってすれば、宝石用として十分に耐えられる大きさのダイヤモンドを製造することも可能です。
しかし、このような大きいダイヤモンドを製造するためにはまだ費用がかかり、同質の天然ダイヤよりも高くつくことや、製造にはかなりの設備が必要であることなどから、人工ダイヤでだまされると言う事は“現在は”ないはずです。
将来的に安価で手軽に大きな人造ダイヤを作れるようになればまた別の話かもしれませんが…。