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ベートーヴェンの三大ピアノソナタ
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三大ピアノソナタピアノソナタは、初期のピアノの性能ゆえに必然的に生まれた形式の楽曲であるといえます。17世紀に開発された初期のピアノは、現在のピアノと構造が違うので広い部屋で演奏すると音が十分に届かなくなる代物であったようです。十分な音量と高音域が確保された現在のものに近いピアノは、ベートーベンが難聴を自覚した時期に作られるようになったということなので、1800年代まではピアノは貴族などの富裕階級が使う内輪向けの楽器であったといえます。 ベートーベンとピアノの関係
三大ピアノソナタとはベートーベンは番号付きのピアノソナタを全部で32曲も作曲していますが、その中でも特に第八番「悲愴」・第十四番「月光」・第二十三番「熱情」を「ベートーベンの三大ピアノソナタ」と呼んでいます。しかし、この通称と組み合わせは生前のベートーベンが決めたものではありません。レコード会社によって、抱き合わせにされたものが「三大ピアノソナタ」の正体なのです。しかし、営業上の意図を抜きにしてもこの三曲のピアノソナタは、32曲のピアノソナタの中でも上位に位置する完成度と内容を持った曲であるのは確かなのです。 三大ピアノソナタの曲調とは三大ピアノソナタは、それぞれまったく違うタイトルと曲調を与えられた楽曲になっています。それはまるで、ベートーベンがピアノの持つ表現力の可能性を見極めるためのようにも感じられます。 ピアノソナタ第八番「悲愴」ピアノソナタ第八番「悲愴」は、1798年に作曲されました。この時期は、ベートーベンが難聴を自覚した時期であることは有名です。ともすれば、「悲愴とは音楽家の命である聴覚を失うことを悲しんだベートーベンの魂の発露である」という解釈をしてしまいますが、その曲調は「ベートーベンの個人的な悲しみ」ではなく、「人生の様々な場面で襲い来る悲しみに揺れ動く人間の感情」そのものを表現するかのような緩急入り混じったテンポを持っています。そもそもタイトルの「悲愴」というのは「深い悲しみ」を意味しています。悲しみが深いと、どれだけ時間が経ってもその悲しみを何かの拍子で思い出してしまうものです。つまり緩やかなテンポが甦る悲しみを表現し、激しいテンポが悲しみを忘れていた時期を表現していると捉えることが出来ます。 数少ないベートーベン自身の命名「悲愴」というタイトルは、ベートーベン自身がつけた標題です。ベートーベンは自分の楽曲にタイトルをほとんどつけなかったことは有名です。「悲愴」は標題を楽曲のテーマとする「標題音楽」というジャンルなので、ベートーベンによってタイトルを与えられているのです。つまり、「悲愴」の曲調はベートーベン自身が考える「悲しみ」を表現したものなのです。 ピアノソナタ第十四番「月光」1801年に作曲されたピアノソナタ第十四番「月光」は、ベートーベンの恋愛遍歴でも有名な楽曲です。当時、ベートーベンがピアノを教えていた伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに捧げるために作曲したものの、失恋してしまったというエピソードが伝えられています。「月光」の題名は、ロマン派の詩人ルートヴィヒ・レルシュタープによって後に付けられたもので、ベートーベンは「幻想曲風ソナタ」として発表しています。この二つの題名をあわせて「月光ソナタ」と呼ばれることもあります。 ピアノソナタ第14番「月光」の曲調
ピアノソナタ第二十三番「熱情」ピアノソナタ第二十三番「熱情」は、1804年以降の「傑作の森」時代に作曲されたピアノソナタです。「熱情」というタイトルは、ベートーベン自身によるものではなく楽譜の出版社が付けたものなのですが、内容そのものを的確に表現した言葉であるため定着し現在に至っています。日本では、「熱情」ではなく「情熱」と訳されていることもありますが、「情熱」ではありふれた言葉すぎて的確な訳であるとはいえないほど、密度の濃いピアノソナタとなっています。「情熱」だと「発展途上の若者が抱く大志」のような青臭さがあるのに対し、「熱情」では「絶えず燃え続ける炎のような思い」が感じられます。優れた名曲には、タイトルにふさわしい言葉が必ずあるのです。 ピアノソナタ第二十三番「熱情」の曲調
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