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交響曲第三番「エロイカ」ベートーベンは一種の現実主義者で、権威や神様という概念をおよそ崇め奉ることのなかった人物であったと伝えられています。そんなベートーベンにとって、当時フランスで起こっていたフランス革命は権威の打倒であり、自分の信念の具現でもあったのは確かなことです。そんな時代に作曲されたのが、交響曲第三番「エロイカ」なのです。 [ スポンサードリンク ]
交響曲第三番「エロイカ」
交響曲第三番「エロイカ」の曲調交響曲第三番「エロイカ」は、「英雄の凱旋」を想起させる雄大でゆったりとした曲調を持っています。英雄の凱旋は、民衆に英雄の健在を示すために出来るだけゆっくりと行われるものだからです。全体的に進軍ラッパのような勇ましい雰囲気ではなく、王宮に向かう道のりを進みながら民衆に祝福される光景がまざまざと思い起こされるメロディラインを持っています。民衆の興奮と英雄の穏やかさが対比されているようなテンポは、聴く者の心に「英雄とはいかなるものか」というベートーベンの考えを深く染み渡らせるのです。 製作の背景この交響曲第三番は、フランス革命に共感を持っていたベートーベンが最後の勝利者となったナポレオンに捧げるために制作したといわれています。しかし、近年の研究ではベートーベンの庇護者であり音楽家でもあった、ルイ・フェルディナンド公に捧げるために制作されたのではないかといわれています。 フランス革命とは
王国制の打倒に始まる混迷1789年、政治犯を収監していたバスティーユ監獄が襲撃されたことがきっかけとなり、フランス革命が起こります。革命初期は封建国家制から立憲君主制を目指していたのですが1791年に国王一家がフランスからの逃走を図った「ヴァレンヌ事件」が発生します。これによって革命は「国王との共存」から「民衆による政治体制の確立」へと方向を変えることになります。この革命の方向転換は、国王派の貴族よりもフランス周辺の国に衝撃を与えることになります。フランス革命が飛び火して、自分たちの立場が失われてしまうことを恐れたのです。そのため、プロイセンやローマなどは革命への介入を宣言しフランス革命はよりいっそう混迷の度合いを深めていくことになります。 ロベスピエールの台頭
ナポレオンが得た漁夫の利革命以後の権力者となっていたロベスピエールの退場によって、フランスは新しい混迷に導かれます。しっかりと舵取りが出来るリーダーがいなければ、革命に介入した他国に領土を奪われることになり、フランス自体が消滅する可能性が高かったのです。そこに登場したのがナポレオンです。ナポレオンはシェイエスらと共にブリューメルのクーデターを起こし、ロベスピエール以後の総裁政府を打倒し、権力を手中に収めたのです。ナポレオンはこの当時は一介の軍人で、エジプト遠征から命からがら帰ってきた状態でした。もし、このクーデターが失敗していたら敵前逃亡で裁判を受ける羽目になっていたといわれています。ナポレオンは、クーデターを主導したシェイエスらを抑えて政権を握ったのです。 ベートーベンが感じていたナポレオンへの共感ベートーベンは、およそ権力への追従心を持っていなかったのは確かです。貴族を後援者にしていたのは実入りがいいからであって、宮廷や貴族のために音楽を作って喜ばせようという考えはありませんでした。そんなベートーベンはフランス革命の英雄となったナポレオンに共感を抱いていた節があります。 ナポレオンの出自に共感を抱いた?
共感から怒りへしかし、ベートーベンはナポレオンに対して強い怒りを伴う失望を抱くことになります。それが1804年のナポレオン戴冠です。ベートーベンは、ナポレオンを「権力に阿らない、自分の理想の英雄」と感じていたのですが、そのナポレオンが権力の座についてしまったのでは本末転倒であるといえます。ベートーベンは「あの男も所詮俗物だったのだ!」と叫び、交響曲第三番の表紙を破り題名を書き換えたという逸話はこの時に生まれたのです。しかし、この逸話は秘書のシンドラーが後に伝記で発表したものなので、現在では信憑性が疑われています。 |
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