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ベートーベンという人物
ベートーベンの人物像人間の性格というものは、生来の気質だけで決定されるものではなく後天的な体験によって形成されていくものです。ベートーベンはいったいどのような体験の結果に現在に語り継がれる性格を形成し、作曲家としての頭角を示したのか気になります。 [ スポンサードリンク ]
音楽一家に生まれたベートーベン
最愛の母との別離
難聴の発症ベートーベンが30代に差し掛かるころ、思いもよらなかった事態が襲い掛かってきます。難聴になってしまったのです。音楽家にとっての生命線である聴覚を失ったことで、ベートーベンは絶望の淵に立たされます。そのため、一時は自ら命を絶つことも考えていたようですが、作曲に専念することを決意しています。この決意は、遺書と言う形をとって書き残されています。これ以後のベートーベンは、次々に楽曲を発表していくことになるのです。 ベートーベンを形成したものは何かベートーベンの人格は、主に父ヨハンと母マリアによって形成されたものであると言ってよいでしょう。働いたら負けだと思っているヨハンは息子の才能に目をつけて、モーツァルトのように宮廷や貴族にベートーベンを引き合わせてパトロンになってもらおうとしていました。そのために必要な才能をスパルタ式で教え込んでいます。一方、母マリアはベートーベンが大成しなくてもいいから自分の行きたい道を進むことを選ばせるための愛情あふれた教育を行ってきました。この相反する教育姿勢がベートーベンの人格に多大な影響を与えていったのです。 「息子は父に似る」の原理俗に、「息子は父親に似てくる」と言われます。顔立ちなどの身体的特徴が母親似であっても、行動や性格は父親に似てくるものです。男性は「父性」、女性は「母性」を自分の親から学ぶものです。「虐待を受けた子供は親になると子供を虐待する」というのは、親から学んだ父性・母性が虐待を含むものだったからなのです。ベートーベンの父ヨハンは典型的な放蕩者で、わずかな稼ぎも呑んでしまうため家計は困窮していました。ベートーベンが「このような父のために、母は夭折してしまった」「家族を不幸にしないためにも結婚をするべきではない」という考えを抱いていても不思議ではありません。しかし、ベートーベン自身も晩年には後継者と見込んだ甥のカールにスパルタ式の音楽教育を施し、カールの養育権で親族と争っています。「子供の才能を磨きたい」と言うのは音楽家共通のエゴであると言えますが、ベートーベンは知らず知らずのうちに父親に似てきていたのです。 「野獣」と言われた癇癪(かんしゃく)もちベートーベンは、「野獣」と呼ばれるほどの強い癇癪を持っていたと言われています。集まりでピアノの演奏を求められても頑として弾こうとはしなかったり、若手音楽家が演奏を間違うと烈火のごとく怒り怒号を飛ばしたりしたというエピソードがあります。ベートーベンは、音楽で身を立てることを常に求められてきたので音楽を仲間うちの会合で披露することや、真面目に音楽に取り組まないことに対して不快感を示すほどに非常に神経質であったのです。 |
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