チェスと世界選手権
家庭でも気軽に遊べるチェスですが、競技としての一面も持っています。
チェスのルールが公式なものとして強調されているように感じるのは、世界選手権の歴史や競技としての一面を持つからかもしれません。
チェスの競技とはどのようなもので、どのように始まったのでしょうか。
初代チェス世界チャンピオンとなった人物
1886年、ヴィルヘルム・シュタイニッツが初代チャンピオンとなりました。
シュタイニッツは「近代チェスの父」と呼ばれています。シュタイニッツがどんなプレイヤーだったのかを少しお話しましょう。
シュタイニッツは弱いポーンを狙っていました。ポーンだけが残っている状態に持ち込むことを好み、よく相手から攻撃されたのですが、シュタイニッツはしっかりとかわしていました。
シュタイニッツはこういいます。「ゲームの開始時には、勝ちのアタックは探すな。激しい手は控えて、小さな利を積み重ねていけ。
それが達成されたとき、勝ちのアタックの存在は、必ず存在する。」
世界選手権のはじまり
少し歴史をさかのぼって1866年、シュタイニッツはアドルフ・アンデルセンに勝ち、世界最強と考えられていました。
しかし、5年後の1871年、アンデルセンに勝った人物がもう1人誕生しました。ヨハネス・ツケルトートです。
1872年に2人は対局し、シュタイニッツが勝利をおさめました。しかし10年後の1883年に再び2人は対局します。
結果はツケルトートが22ポイントで優勝、シュタイニッツは19ポイントで2位になりました。このとき、ツケルトートは世界最強を名乗るようになったのです。
シュタイニッツにとってはさぞかし面白くなかったことでしょう。ツカルトートに挑戦し、どちらが世界最強かを示すために行われたのが、世界選手権だったのです。
世界選手権とは?
世界選手権のシステムは現在に至っても変化し続けています。シュタイニッツが挑戦試合に勝って以降は、チャンピオンが挑戦者を選べる挑戦制度がありました。
1946年にロシアのアレクサンドル・アレヒン(アリョーヒン)がなくなり、FIDEが管理することになりました。
それまでは世界チャンピオンといっても、チャンピオンの都合によって試合ができなかったりルールが決定されていたので、本当の世界チャンピオンといえるものではなかったともいえます。
1997年にはIOC(国際オリンピック委員会)から勧告を受け、挑戦者制から勝ち抜き戦になりました。世界選手権には、女子チャンピオン、ジュニアチャンピオン、地域チャンピオンなどがあります。
国際チェス連盟とは
国際チェス連盟(FIDE=Federation Internationale des Echecs)とは1924年にパリに設立された、チェスの国際組織です。
設立当初は力の弱い団体でしたが、世界選手権を管理し、ソビエトが加盟するなどによって、少しずつ力を高めていきました。
現在は167もの国が加盟しています。
加盟国の多さは国際サッカー連盟FIFAと並ぶ多さです。
国際チェス連盟では、チェスの規則の制定・選手のレートの計算・チェス・プロブレムのアルバムの定期的刊行・称号の授与などを行っています。
また日本では、日本チェス協会(JCA)という団体がFIDEに加盟しています。ジャパンリーグや全日本選手権全国大会といった公式戦を開催しています。
スポーツとしてのチェス
チェスのルールを知っている人は約5億人といわれています。ロシアやヨーロッパなどで盛んに行われているチェスですが、最近ではチェスが弱いといわれていた国からも次々と強い選手が誕生しています。
1999年の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で、チェスは世界メジャースポーツ30種の中に加えられ、国際チェス連盟(FIDE)は国際オリンピック委員会の加盟団体となりました。
2006年のアジア大会で正式競技となりましたが、東南アジア圏にチェスが普及したのが大きな理由でしょう。
日本ではスポーツは体を動かすものというイメージがあって驚くかもしれませんが、チェスは頭を使うスポーツとして認識されています。