紙生活
歴史

紙の歴史

紙は何でできているのかもうお分かりになりましたね? ではこの紙が誕生したのはいつなのでしょうか。物事には何でも始まりがあります。紙にも始まりがあって、その紙はいったいどこで誰が作ったのでしょうか。

紙の誕生

歴史を紐解くと、2000年前の中国までさかのぼります。紀元前2500年頃には紙に似たパピルスがエジプトで使われていましたが、現在の紙とはまた別な物になります。パピルスの代わりに羊皮紙が使われるようになり、ヨーロッパに紙が伝わるまでの1400年以上の長きにわたり、羊皮紙は使われていました。

中国で紙の誕生

今から50年ほど前、中国西安市の郊外にある遺跡から、紀元前141年よりも前の紙が発見されました。この紙は文字が書けるようなものではなく、銅鏡など貴重品を包む麻布と同じように使われていたようです。この頃の中国では書写を行う物として、木や竹、絹などを使用していましたが、木や竹は手に入れやすい反面、かさばって場所をとるために保管も容易ではありませんでした。絹は値段も高く、数多く使うことはできませんでした。後漢時代、時の皇帝「和帝」は、「かさばらないで費用も安くすむ書写材料」の研究を宮中の御用品製造所の長官、蔡倫に命じました。蔡倫は研究に研究を重ね、105年、遂に書写材料に適した紙の研究を完成させます。この紙こそが情報などの文字を書き込むことのできる歴史の上で初めての紙となるのです。この紙は「蔡候紙」と名付けられました。

日本の歴史

日本の歴史を見ると、紙自体は製造法が伝わるよりも早く日本に入ってきました。紙の製造法が正式に日本に伝わったのは610年、高句麗の雲徴という僧によって伝えられたとされています。奈良時代に日本に伝わった紙は不備な点や悪い点を改められながら完成度の高いものへと伸び続けていきます。日本最古に製造された紙が正倉院に納められています。日本で紙の必要性が高まったのは、仏教のためだと言われています。写経に使う紙として益々完成度も高まりました。

和歴史

日本独自の紙として和紙があります。紙は高価なもので、写経だけに使われる物でしたが、平安時代に入ると貴族などが行った和歌や漢文、書などにも使われるようになります。京都には和紙の製紙工場が建てられ、鎌倉時代、室町時代と時代が移りゆくのと同時に紙も発達していきますが、庶民にはまだ手のとどかないものでした。江戸時代にはようやく紙の値も下がり、一般の生活にも徐々に紙が入ってきます。農民の副業として紙漉が広がったのも一因でしょう。瓦版やかるたなどに和紙が使われるようになっていきます。

エジプトへ渡った紙

日本に紙が伝わったのは、僧が仏教を広めるためでしたが、西へ紙が伝わったのにはどんな経緯があったのでしょうか。751年に中国の唐とサラセン王国の戦いによって、紙は西にもたらされました。唐が敗退して捕虜となった兵の中に、優秀な製紙技術者がいたのです。サラセン側の強要でこの製紙技術者は紙漉をさせられます。これが中国から西へ紙が伝わっていった経緯とされています。757年にはペルシャ王が正式にバグダッドに製紙技術者を招き、自国での紙の生産を始めます。アラビア東海岸、シリアのダマスカスにも紙の工場が建設されました。900年頃になるとエジプトに、1040年にはアフリカのリビア、1100年にはモロッコに伝わり、1189年、ようやく製紙はヨーロッパへと伝わります。

ヨーロッパに渡った紙

歴史の中で過酷な時代もありました。ヨーロッパでは紙を作る原料が少なく、麻や綿で作られたボロ布が代用品となっていました。活版印刷が盛んになり、紙の需要は右肩上がりになります。紙の需要が増加の一途をたどり、大量生産するために、紙を機械で漉くようになります。17世紀には原料不足が起こります。ボロ布が不足して社会問題にまでなってしまいます。パリ市民はボロ布に高い値がつくのを見込んでしまいこんでしまい、市当局は困り果てて個々に家を回って強制回収を始めたほどです。1831年には欧米各国に、ボロ布を回収する専門の会社ができ、ボロ布の密輸入を取り締まるという状態にまでなってしまいます。

世界の歴史

こうして日本ばかりではなく、世界の歴史を見ても様々なことが起こっていました。それだけ紙は重要視されていたということでしょう。この世界での歴史があるからこそ、現在まで紙が伝えられてきたのです。


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