家訓は、普通の家訓とはちょっと違っています。仏の道を学んだ経験があるからなのでしょうか。戦国時代に生きて、戦に明け暮れていた上杉謙信が後世に残した家訓とは、どのようなものだったのでしょうか。
家訓は、公家や武家など、江戸時代になると商家などでも書き残すようになりましたが、その家を将来もずっと守りたてて続いていくよう、子孫への戒めとして、その家の当主が書き記して残したものです。武家の場合は何ヵ条にもなっているものも珍しくありません。座右の銘のように、一言だけのものもあります。日本では、平安時代に公家からはじまったものとされています。現在では、会社が一代でグループ化しているような大会社や、家族経営などで社風を作り上げてきた会社には、社訓として今日でも使われています。
残した家訓を、分かりやすく現代語に訳して紹介します。
心に物なき時は心広く体泰なり |
自分を見失わないでいられる時は、心が広々として、体もゆったりするものだ |
心に我儘なき時は愛敬失はず |
我儘に振舞うことがなければ、人に接するときも柔らかくなり、敬えるものだ |
心に欲なき時は義理を行ふ |
貪欲な気持ちがない時は、どんな人に対しても思いやりの気持ちが持てるものだ |
心に私なき時は疑ふことなし |
私心がなければどんなことに対しても、疑う気持ちは起きないものだ |
心に驕りなき時は人を敬ふ |
偉ぶるような心がなければ、人の真価を認め敬うことができる |
心に誤りなき時は人を畏れず |
やましい気持ちがないのであれば、人をおそれることはない |
心に邪気なき時は人を育つる |
偏った見方や考え方がない時は、その生き様を周囲が見ておのずと育っていく |
心に貧りなき時は人に諂うことなし |
がつがつした気持ちがなければ、人の機嫌を取らなくてもすむ |
心に怒りなき時は言葉和らかなり |
怒りの気持ちがなければ、言葉も柔らかくなり、人も耳を傾ける |
心に堪忍ある時は事を調う |
どんなことにも耐え忍ぼうとするときは、物事を整えることができる |
心に曇りなく時は心静かなり |
心が晴れ晴れとしていて清々しいときには、心も穏やかになるものだ |
心に勇みある時は悔やむことなし |
困難を乗り越え実行するには勇気が必要。思い切れば悔やむこともない |
心いやしからざる時は願い好まず |
いやしくないときは無理な願望を持たず、耐え、努力することでつかむことができる |
心に孝行ある時は忠節厚し |
本当に尽くそうと心がける時は、自ら主君に仕えようとする気持ちが深いはずだ |
心に自慢なき時は人の善を知り |
うぬぼれの気持ちがない時は、人の良さ、素晴らしさを実感することができる |
心に迷いなきときは人を咎めず |
しっかりとした信念があれば、人を怪しんだり責めたりしないものだ |
山形県米沢市にある上杉神社は、上杉謙信を祀っている神社です。天正6年に越後の春日山城で急死し、遺骸は春日山城の中の不識庵において、仏式で祀られていました。次代の上杉景勝が米沢藩に国替えになったのを機会に、謙信の祠堂も米沢に遷されました。それ以降も仏式で祭りが執り行われていましたが、明治時代に祠堂のままの状態で神祭に改め、明治9年に、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が還座されました。江戸時代から仏式の祭祀では大乗寺という、城中におかれた寺院の僧侶が執り行っていましたが、新式に改める際、この寺の僧が還俗して大乗寺氏を名乗って、そのまま宮司になりました。現在でも同家が宮司職を務めています。彼が残した家訓は、この神社に碑となってたたずんでいます。上杉神社を訪れることがあれば、この碑も探してみましょう。