吾こそは上杉謙信なり!
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家訓

家訓は、普通の家訓とはちょっと違っています。仏の道を学んだ経験があるからなのでしょうか。戦国時代に生きて、戦に明け暮れていた上杉謙信が後世に残した家訓とは、どのようなものだったのでしょうか。

家訓って?

家訓は、公家や武家など、江戸時代になると商家などでも書き残すようになりましたが、その家を将来もずっと守りたてて続いていくよう、子孫への戒めとして、その家の当主が書き記して残したものです。武家の場合は何ヵ条にもなっているものも珍しくありません。座右の銘のように、一言だけのものもあります。日本では、平安時代に公家からはじまったものとされています。現在では、会社が一代でグループ化しているような大会社や、家族経営などで社風を作り上げてきた会社には、社訓として今日でも使われています。

十六ヵ条の家訓

残した家訓を、分かりやすく現代語に訳して紹介します。


心に物なき時は心広く体泰なり

自分を見失わないでいられる時は、心が広々として、体もゆったりするものだ

心に我儘なき時は愛敬失はず

我儘に振舞うことがなければ、人に接するときも柔らかくなり、敬えるものだ

心に欲なき時は義理を行ふ

貪欲な気持ちがない時は、どんな人に対しても思いやりの気持ちが持てるものだ

心に私なき時は疑ふことなし

私心がなければどんなことに対しても、疑う気持ちは起きないものだ

心に驕りなき時は人を敬ふ

偉ぶるような心がなければ、人の真価を認め敬うことができる

心に誤りなき時は人を畏れず

やましい気持ちがないのであれば、人をおそれることはない

心に邪気なき時は人を育つる

偏った見方や考え方がない時は、その生き様を周囲が見ておのずと育っていく

心に貧りなき時は人に諂うことなし

がつがつした気持ちがなければ、人の機嫌を取らなくてもすむ

心に怒りなき時は言葉和らかなり

怒りの気持ちがなければ、言葉も柔らかくなり、人も耳を傾ける

心に堪忍ある時は事を調う

どんなことにも耐え忍ぼうとするときは、物事を整えることができる

心に曇りなく時は心静かなり

心が晴れ晴れとしていて清々しいときには、心も穏やかになるものだ

心に勇みある時は悔やむことなし

困難を乗り越え実行するには勇気が必要。思い切れば悔やむこともない

心いやしからざる時は願い好まず

いやしくないときは無理な願望を持たず、耐え、努力することでつかむことができる

心に孝行ある時は忠節厚し

本当に尽くそうと心がける時は、自ら主君に仕えようとする気持ちが深いはずだ

心に自慢なき時は人の善を知り

うぬぼれの気持ちがない時は、人の良さ、素晴らしさを実感することができる

心に迷いなきときは人を咎めず

しっかりとした信念があれば、人を怪しんだり責めたりしないものだ

上杉神社にある碑

山形県米沢市にある上杉神社は、上杉謙信を祀っている神社です。天正6年に越後の春日山城で急死し、遺骸は春日山城の中の不識庵において、仏式で祀られていました。次代の上杉景勝が米沢藩に国替えになったのを機会に、謙信の祠堂も米沢に遷されました。それ以降も仏式で祭りが執り行われていましたが、明治時代に祠堂のままの状態で神祭に改め、明治9年に、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が還座されました。江戸時代から仏式の祭祀では大乗寺という、城中におかれた寺院の僧侶が執り行っていましたが、新式に改める際、この寺の僧が還俗して大乗寺氏を名乗って、そのまま宮司になりました。現在でも同家が宮司職を務めています。彼が残した家訓は、この神社に碑となってたたずんでいます。上杉神社を訪れることがあれば、この碑も探してみましょう。

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