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立待岬

 見渡す限りの海はとにかく圧巻で、何もせずにただ海を見ているだけで満足できます。やはり晴れの日がオススメです。函館に来たら、是非是非ここの景色を見て下さい!

 函館山から南東に位置する立待岬は、晴れている日には下北半島まで見えるという壮大な景色の観光スポットである。日中だけでなく、夜にはイカつりの漁火も間近に眺められるという函館らしい景色も広がる。
 またこの岬の周辺には、石川啄木一族の墓や与謝野寛・晶子夫妻の記念碑があり、文学の好きな人にもおすすめのスポットでもある。岬の左手には石川啄木が好んで散歩したといわれる大森浜も臨める。
  立待岬は寛政年間には、北方警備の台場が設置され、外国船を監視する要の地だった。
  なお立待岬の「立待」は、アイヌ語の「ピウシ」の訳で「岩上で魚を待ちヤス(漁具)で獲る場所」という意味である。

【立待岬】
北海道函館市住吉町





与謝野寛・晶子の歌碑

 立待岬のすぐ近くには、自然の岩を利用してつくられた与謝野寛、晶子の歌碑がある。これは昭和6年6月6日、新詩社の有力な一員であった啄木の墓参りに訪れた際に詠んだものの中から刻まれたもので、
「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」
「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」
とある。

 立待岬にある「与謝野寛・晶子の歌碑」が彫られている岩は歴史を感じさせる雰囲気が漂っていて、函館の文学スポットの1つでもあります。そばにあるベンチに座ってゆっくりと景色を眺めてみてはいかが??

【与謝野寛・晶子の歌碑】
北海道函館市住吉町





石川啄木一族の墓

 車一台分の幅しかない狭い道路を行くと、海がよく見える高台にある墓地の一角に石川啄木一族と宮崎一族の墓があります。そして本当にこの場所からの景色はキレイです。

 石川啄木は明治40年5月〜9月の4ヶ月の間函館に滞在した。函館では、文芸結社、苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人らに温かく迎えられたり、離散していた家族を呼び寄せるなど啄木にとっては楽しい生活だったと思われる。
  1912年4月、石川啄木は27歳という若さで亡くなるが、「死ぬときは函館で」という啄木の言葉から現在もこの函館の地に眠っている。その墓碑には「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と歌われている。啄木の墓が現在の形となったのは、義弟であり啄木の援助者である宮崎郁雨の手によってのものであり、宮崎一族の墓も石川啄木一族の墓のそばにある。
  たった4ヶ月の滞在で、石川啄木は函館をこよなく愛した。この場所はそんな函館を堪能するためのルーツとなるのかもしれない。墓からは石川啄木が好んで散歩したといわれる大森浜も臨める。

【石川啄木一族の墓】
北海道函館市住吉町16
TEL:0138-21-3323(函館市観光課)