ピラミッドとは
ピラミッドと聞いたらすぐにエジプトが出てくるくらい、エジプトのピラミッドは有名です。スフィンクスとセットで頭に浮かぶ人もいるでしょう。
映像や画像で見るピラミットは砂漠のど真ん中にあるイメージですが、スフィンクスのすぐ目の前には市街地があるのですから驚きですね。
ピラミッドって?
主にエジプトや中南米に建造された四角錐の巨大な建造物です。巨大な石を四角錐に積み上げたもので、中には通路や部屋が作られています。
古代の王が築かせたもので、近年までは王の墓だとされてきました。ところが、必ずしも棺が収められているわけではなく、一人の王でいくつものピラミッドを建造していることも分かってきました。
さらに調べを進めていくうちに分かってきたことは、どうやらピラミッドは農閑期に多くの民衆が働く場を提供すべく、与えられた公共事業だったようです。
それまではピラミットの建造に携わってきたのは奴隷とされてきましたが、建造現場に残されている古代の民衆の落書きは、王を讃えるものばかりです。苦渋を強いて働かされていたわけではなく、皆喜んでピラミット建造に携わっていたのです。
王家の谷
ピラミッドと並んで有名なのが王家の谷でしょう。
ファラオ(王)であるツタンカーメンが葬られた場所です。発掘されたツタンカーメンの黄金のマスクは、現在でも博物館に大事に保管されています。
ツタンカーメンが天に召されてからの王位は、大臣や将軍達が継ぎ、王家の血縁も途絶えてしまうことになるのです。
ピラミッドの始まり
ピラミッドの歴史を刻む第一歩となったのが、第三王朝時代のファラオ、ジェセル王によって建造された「階段ピラミッド」でした。
場所は現在サッカラと呼ばれている砂漠地帯で、マスタバ墳をいくつもの層に積み重ねて作られており、イムヘテプという天才建築家の設計だと言われています。この工法がピラミッド作りの始まりとなりました。
マスタバ墳とは
古代エジプトで使われていた初期の王朝の墓の形が、当時のエジプト人が使っていた「マスタバ」と呼ばれるベンチのような形をしているので「マスタバ墳」と呼ばれています。初めて作られたピラミッドは、マスタバを階段のように積み上げて作られたのです。
ピラミッド建造
第三王朝のジェセル王によって始められたピラミッドの建造。これ以降、建造途中のものも含めて、形を変えながら数多くのピラミッドを後世に残すことになります。
第四王朝時代の王、スネフェル王は、「屈折ピラミッド」と「赤のピラミッド」を完成させました。このスネフェル王の息子が、私たちにも馴染みの深いクフ王です。
クフ王は、ピラミッドの建造を公共事業として、農閑期の農民達に建造に関わらせ、歴史に名を残す巨大なピラミッドを完成させるのです。
クフ王の息子のカフラー王は、ギザにある父のクフ王のピラミッドの近くに、スフィンクスと共に巨大なピラミッドを残しました。
カフラー王の息子、メンカウラー王も、ピラミッドの建造地としてギザを選び、ギザの三大ピラミッドと呼ばれる巨大ピラミッドが三代に渡って築き上げられたのです。
これを境にエジプトの経済状況は右肩下がりになり、ピラミッドを建造できない王も存在しました。第五王朝の時代に入っても、王達は伝統的なピラミッドの建造を続けてきましたが、最盛期の大きさとは比べものにならないくらい小さなもので、中には建造途中で中止され、崩れた姿を今に伝えるものまであります。
代々受け継がれてきたピラミッド建造も終わりを迎える時がきます。第二中間期に入り、第十三王朝の財政は緊迫したものとなり、発見されているものはピラミッドではなく、ピラミッドの最先端につけられる「キャップストーン」と呼ばれる三角錐の石だけでした。
第十五王朝を引き継いだのはアジアからの商業民族で、ピラミッドの建造を引き継ぐことはありませんでした。
こうしてピラミッド建造技術を受け継ぐ者もおらず、紀元前3000年から紀元前1570年の1500年近くにも及ぶピラミッドの時代は幕を降ろしたのです。
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