鉛筆の歴史
普段何気なく使っている鉛筆。そんな鉛筆の歴史について考えてみたことはありますか?人間がモノを書くようになってから生み出された鉛筆の歴史は大変長いものになります。鉛筆が誕生した年代や土地に想いを馳せてしまいました。
鉛筆の歴史
さて早速、鉛筆の歴史を見ていくことにしましょう。これを知れば、もっと鉛筆のことが好きになるでしょう。
鉛筆はいつ・どこで誕生したの?
みなさんは鉛筆がいつ、どこで生まれたのか知っていますか?そもそも大昔、細長い鉛(なまり)と錫(すず)を使った合金のまわりに木軸を巻きつけたものが始まりと言われています。これが今、私たちが使っている鉛筆の原型ですね!16世紀末(今から450ほど前)になると、イギリスのボローデル山で鉛筆の芯の材料となる黒鉛が発見されました。以来、本格的に鉛筆が作られるようになったのですが、あまりにもたくさん掘り過ぎたためにやがて黒鉛はなくなり、採取できなくなってしまいました。そして、1795年のある日、黒鉛の粉や欠片を集めて、そこから鉛筆を作ることはできないかと考えた人たちがいました。フランス人のニコラス・コンテ氏とドイツ人のカスパー・ファーバー氏でした。彼らは黒鉛の粉と粘土を混ぜ合わせることで見事、鉛筆の芯を作ることに成功したのです!現在も世界の鉛筆の製造方法は、これとほぼ同じなんですよ。
鉛筆の長さについて
私は今まであまり鉛筆の長さなんて気にしたことはなかったのですが、日本を含め、鉛筆の長さには基準があるのだそうです。ちなみに日本の鉛筆の長さは17.2cm以上と定められているんですよ。この基準を設定した人は実は日本人ではなく、ドイツ人のルター・ファーバー氏とされています。1840年頃、17.78cmにすることが決まりました。ですが、なぜこの長さなのでしょう?これは大人の手の付け根から中指までの長さと言われ、一番使いやすい長さと考えられています。
消しゴム付きの鉛筆を発明したのは?
みなさんも消しゴム付きの鉛筆を必ず一本くらいは持っているのではないでしょうか? 鉛筆と消しゴム2つを持たなくて済むので、携帯用の筆記用具としてとても便利ですよね。 この鉛筆が作られたのは1858年のことです。アメリカ人の画家ハイマン・リップマン氏によって開発されました。
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日本での鉛筆の歴史
では、日本での鉛筆の歴史をひも解いてみましょう。日本人は、いつから鉛筆を使うようになったのでしょうね?
日本に鉛筆が伝わったのは?
始めて日本に鉛筆が伝わった詳しい年代は、残念ながら明らかになっていません。ですが、明治初期には東京や横浜の輸入品を扱っているお店でわずかながら鉛筆が販売されていました。その後、1853年にアメリカからペリー提督がやって来ました。その際、日本へ持ち込まれたお土産品の中にも鉛筆はありました。この時を境に日本は開国し、海外との貿易を開始しました。もちろん鉛筆も数多く輸入され、普及していきました。
日本で鉛筆が作られるようになったのは?
明治時代中期から日本はヨーロッパやアメリカから新しい文化を積極的に取り入れるようになりました。教育システムもその一つでした。その結果、今まで使っていた筆記用具として使っていた筆ではなく、鉛筆が大量に必要となったのです。そこで日本は自分たちで鉛筆を作ろうと考え、その技術を学ぶためにドイツなどに人を派遣しました。鉛筆の製造技術を習得した者の帰国後、1873年に日本初の鉛筆が作られたと言われています。それからというもの技術の向上を図りながら多くの鉛筆が生産され、人々の間でも日本製が人気を呼んでいきました。
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日本の歴史上人物が愛用した鉛筆
日本人なら誰もがみんな知っている歴史上の有名人たちも鉛筆を使っていました。どんな鉛筆がお気に入りだったのでしょう現代に残された品々からも鉛筆の歴史の深さをうかがい知ることができますよ。
徳川家康が使っていた鉛筆
昔、徳川家康(1542~1616)が使用していたとされる鉛筆が静岡県の神社に保存されています。海外からの輸入品の中にあった鉛筆が家康に届けられたのだと考えられています。鉛筆の長さは11cm程度の短いもので、芯はキレイに削ってあります。材料の品質からヨーロッパ地方で作られたものと言えるでしょう。
伊達政宗が使っていた鉛筆
伊達政宗(1567~1636)も鉛筆の愛用者の一人でした。1974年に政宗の基地の発掘が行なわれ、のちの1988年に鉛筆が発見されました。長さ14cmくらいのキャップ付きのものです。好んで外国製の鉛筆を使っていた彼がオーダーメイドしたのではないかとも推測されています。これまでに2つの複製品が作られているんですよ。
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