今ではすっかり野球に欠かせなくなった変化球。それでは、世界で初めて変化球を投げた投手とはだれだったのでしょうか? そして、それはどのような球種だったのでしょうか?また、日本で初めて変化球を投げた投手は誰かなど、ここでは変化球の歴史というものについて一緒に考えていきましょう。
魔球とは大げさな・・・と思われるかもしれません。しかし、初めて変化球が発明され、実戦に使用されたとき、球場にいた観客たちは、いままで見たこともない変化を見せるボールに対して、こう呼んだとされています。その魔球とは現在で言うところの"カーブ"であり、発明したのはウィリアム・カミングスという投手で、彼はこの伝家の宝刀であるカーブでめざましい活躍を遂げました。さらに、彼が引退するときにカーブを伝授されたトミー・ボンドは、3年連続40勝という信じられない好成績を上げました。"魔球"という言葉が決して大げさではない、ということですね。ちなみに、この魔球、カーブを発明した功績により、ウィリアムカミングスは創成期のアメリカ球界の発展に寄与したということで、見事に殿堂入りをしたのです。
科学者と言うのは良く言われるように頭が固い、のでしょうか? かのウィリアム・カミングスが初めて変化球を投げたとき、世の科学者たちは揃ってそんな事はありえない! と認めなかったそうです。実際に、対戦したバッターを始め、関係する人々が確かに曲がった、と証言してなお認めなかったのですから、ある意味大したものですね。しかしそこは科学者。現実に変化球が存在することを認めた後は、「なぜ曲がるのか?」「どういうメカニズムなのか?」といったことが盛んに論議され、どんどんと変化球のメカニズムが解明されていったのです。
カーブは、ボールに回転を与えることによって変化させるものでした。そして、それとほぼ同じ時期にもう一つの魔球が誕生していたのです。それがこちら、チェンジアップ。打ち気をそらし、普通のストレートが来ると思わせてからのチェンジアップは猛威を振るいました。この球を最初に開発したとされる、ティム・キーフは、このチェンジアップをたくみに使いこなし、世界で3番目の300勝投手となったのです。いままでは豪速球による真っ向勝負が当たり前だったこの時代に、こうした知性的なピッチングを持ちこんだのも彼が最初だとされています。彼の最大の武器は魔球ではなく、知性のほうだったのかもしれませんね。
平岡煕(ひらおか ひろし)という人が日本で初めてカーブを投げた人とされています。とはいっても、プロ選手という訳ではなく(この当時、まだプロ野球そのものがなかった)実業家でした。しかし、カーブを日本に持ち込んだことを始め、日本最初の野球団を組織するなど、日本の野球界創生時期に、多大な貢献を行ったとして野球界殿堂入り第一号という栄誉を手にしたのです。ちなみに、殿堂入り一号の仲間にはいまの巨人を創った正力オーナーなどもいました。共に日本の野球が普及する礎を築いた人たちですね。面白いことに、日本でも初めてカーブを見た人たちは「魔球」とよんで恐れたとか。変化球という概念が無い場合、曲がる球というのは本当に魔球に見えたんでしょうね。
もちろん、このほかにもさまざまな変化球があり、それを初めて投げた投手は存在しています。それらはあとで、各変化球の紹介時に書くことにしましょう。さて、扱いに困るのが変化球は基本的に似たもの、区別が難しいものが多い事。同じ変化を見せても投手が今のはカーブだ! といえばカーブ、スライダーだと言い張ればスライダーなのです。定着しませんでしたが、スラーブ(スライダーカーブ)なんて変化球もありましたね。今回は確実に世界最初といえる2つの事例について紹介しました。つまり、投げ方による変化球と握り方による変化球ですね。これ以降の変化球の歴史についてはオリジナルの発明と言うよりはアレンジの歴史と言えるでしょう。もちろん、フォークボールなど名作変化球もたくさんあるわけですから、アレンジが悪いわけではありません。個人的には、より良いものを創ろうと努力していく、こういった選手の方を応援したくなるくらいです。