|
チャーハンの歴史
チャーハン(炒飯)の歴史は、中国四千年が誇る食文化の結晶である中華料理と共にあります。「中華料理は火力が決め手」と言われるように、チャーハンは中華独特の強火によってカラリ、パラリと炒め上げられるのです。つまり、チャーハンが生み出されたのは強い火力を手にした時であると推測できるのです。
|
チャーハンの起源とは
チャーハン(炒飯)が食べられるようになったのは、米食中心の食文化が生まれた唐代・宋代の頃と考えられています。この時期は米食のみならず竃(かまど)の発達や鉄器技術の進歩と普及も同時に行われたと言われています。竈の発達によって、燃料もそれまでの薪から石炭などの火力の強いものに切り替わり、鉄器技術の進歩と普及が中華鍋を生み出したと言われています。この二つの進歩が炒め物や揚げ物を普及させるきっかけになったのです。
|
チャーハンの原形とは
台湾で食べられているチャーハン(炒飯)は、私たちの知っているチャーハンとは一味違うものになっています。台湾のチャーハンは「炊いた白米を卵と共に炒める」のではなく、「米をスープで炊いてから炒める」物です。この「米をスープで炊いてから炒める」というチャーハンの原形とも言われる調理法は、日本や中国のみならずアジアやヨーロッパなどにも伝わっています。この調理法で作られた料理をインドでは「プラーカ」といい、シルクロードを渡ってトルコに伝えられて「ピラフ」になったと言われています。
|
日本におけるチャーハンの歴史
古くから大陸の文化を吸収していた日本にも、早い時期にチャーハン(炒飯)は伝わっていたようです。唐代に中国に伝わった「プラーカ」は、遣唐使の手によって日本に伝わって言ったようです。この時日本に伝わった「プラーカ」は、胡麻油を使って米を炊く「油飯」になったようです。しかし、日本では「プラーカ」はチャーハンとしてではなく、余ったご飯を再加熱して食べる「焼き飯」として発展していったのです。
|
ヨーロッパにおけるチャーハンの歴史
「プラーカ」はトルコに伝わった時には、「プラウ」「ピラウ」と言う名前でした。これが転じて「ピラフ」となったと伝えられています。オスマン・トルコ帝国時代にヨーロッパを席巻したトルコは、その文化をヨーロッパに伝えています。フランスに伝わったピラフは現在食べられているピラフへと昇華されたのです。また、スペインのパエリアはピラフ由来ではなく中東方面に由来する料理なのです。
|
東南アジアにおけるチャーハンの歴史
インドからインドネシア・マレーシアなどの東南アジアに伝わった「プラーカ」は東南アジア独特の調味料と出会い、独自のチャーハン(炒飯)へと進化しています。それが「ナシゴレン」や「ビリヤーニ」という米飯料理なのです。東南アジアにおけるチャーハンは、香辛料をふんだんに使用した、スパイシーなエスニック料理として人気を集めています。
|
アメリカにおけるチャーハンの歴史
人種の坩堝とも言われるアメリカでは、実は開拓時代からフランス料理や中華料理が伝わってきていました。つまり、ピラフやチャーハンが同時に存在していたのです。アメリカに伝わったピラフやチャーハンは、フランス系アメリカ人によって洗練され「ジャンバラヤ」へと発展していったのです。
|
米食あるところにチャーハンあり
世界でお米を食べている地域は、主食として食べている地域と野菜の一種として食べている地域の二つに分けられます。例えばヨーロッパでは米は野菜の一種として扱われている国が多く、アジアでは主食として米を食べている国が多いのです。このように米が農作されている地域が多岐にわたることから、チャーハンは世界で食べられている料理の一つとなっています。
|